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一九八五年のパレスチナ難民キャンプ訪問では、他にも実に多くのことを学んだ。アラブ系の子供たちは、どこへ行っても気楽に「バクシーシ(お志をください)」と言いながら手を出す。これは一種の物乞いなのだが、日本人はそれを深刻に受け止める。何という「乞食根性だ」などと眉をひそめるのである。 しかしそれほど深い意味があるわけではない。実にインドシナ半島から西の国で、これを無邪気に習慣にしている国は、それほど珍しいわけではない。子供などの場合など「バクシーシ」を遊ぶ、という感じだ。くれればめっけもの、という程度のことである。 しかしパレスチナ人の難民キャンプでは一人もそういう子がなかった、と私が感心すると、アラブ通の日本人が解説してくれた。「ソノさん、当たり前ですよ。彼らは昔から音に聞こえたフェニキヤ商人の裔(すえ)なんですよ。人を見たら一目で、この人は金をくれるかそうでないか、わかるんですよ」 つまり私はケチで、決して財布の紐をゆるめない人間だと一目でわかったから、最初からねだらなかったのだ、というのだ。 こういう話には、いつも気楽な会話の持ついい加減さがつきまとい、そういう解釈だけが正しいというわけでもないのだが、彼らはどうしてどうして、実に経済的に生きることの達者だということは間違いないだろう。 パレスチナ人は圧迫されているだけの人々ではないので、まだ四歳くらいの子供にまで、銃を背に、谷を渡るための綱渡りなどのレンジャー部隊的な戦闘方法を教えていた。もちろん射撃訓練もするという。自らの武力で自分たちを守る他はない、と皆が当然のこととして考えている。しかし日本人は、多分世界中の人たちは皆平和が好きだから、攻め込んでは来ないだろう、と思っている、と知ったら、パレスチナ人たちはびっくりするだろう。 昔は安倍晋太郎氏、今ではもしかすると高村外相も、イスラエルとパレスチナとの間の和平の取り持ちをしようなどと考えるのかも知れないが、そういうトンチンカンなことだけは決してしない方がいい。彼らは対立しているとは言え、長い歴史の間で、お互いの心を知り尽くしている。日本人とは全く違う、思考の筋道を共有できる人たちだ。 しかし日本人は、自分流が世界に通用すると思っているのだから、危なくて仕方がない。少なくともユダヤ教とキリスト教だけは、みっちりと知っている人の多いアメリカ人の方が、ずっとアラブやパレスチナ人を理解する下地がある。彼らは、対立しながらも、似通った風俗・習慣を持ち、理解はできるのである。 パレスチナ難民キャンプには、貧しくて、自分専用のテープ・レコーダーさえ持たない盲人が、じっと林の中の鳥の声を聞いていた。彼らに一人一人せめてテープ・レコーダーとラジオをあげたい、と思ったことは今も忘れ難い。
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