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先日、或る所で、一人のカトリックの神父から、おもしろい話を聞いた。 その神父は自分の教会の寝たきりの信者たちのところへ、時々、聖体と呼ばれるパンを持って行く。そういう病人の一人は、八十何歳かの老人だった。その人は四十代に脳内出血で倒れ、それ以来、寝たきりであった。そしてその人を自宅で四十数年看取って来たのが、その奥さんだったのである。 神父は「じいちゃん」を見舞う度に、ベッドの傍で、「ばあちゃん」が「じいちゃん」の悪口を言うのを、そうだろう、そうだろう、と相槌(あいづち)をうって聞いていた。三百六十五日、二十四時間、面倒を見ていれば、ばあちゃんのストレスもたまっている。じいちゃんに対する文句もたくさん出てくる。それを神父は決してたしなめたりせず、そうだろう、そうだろう、「じいちゃん」が悪い、と賛同してきた。すると「ばあちゃん」はちっとは心が晴れて、また看病をする元気が湧いてくる。 その「じいちゃん」が亡くなった。「ばあちゃん」の一生を捧げた看護の生活も終わった。神父は葬式の司会をした。 かねがね「僕は結婚式は嫌いだな。一カ月もすると、もう別れたいなんて言って来る人もいるんだから、その点、葬式は完璧」と言っていた神父である。 しかし私はこの話にほんとうに打たれた。一日や二日、一月や二月なら、人間はどれだけでも勤まる。しかしこの老婦人は、四十数年間、夫の看病を独りで背負い、その偉業をなし遂げたのである。 ちょうど私の働いている日本財団には、いわゆる「子財団」として「日本顕彰会」というのがあった。設立は昭和四十六年で、「海難・事故・犯罪発生などの緊急事態の解決に大きく貢献された方々や、広く社会の各分野において、困難な状況の下、著しく労苦の多い活動を多年にわたって行い、社会と人間の安寧と幸福のため著しく貢献をされた方々」を、今までに一万一千人以上表彰してきた。 しかし最近、この表彰に新しい息吹を吹き込んで「日本財団賞」を創設したい、という話が持ち上がっていたところだったのである。 今年度からの表彰の基準は、次のようになった。「二十四時間、自ら責任を引き受けて、数十年もの間、家族、または他人の面倒を見続けて来られた方」「重度の障害がありながら、なお多年にわたり、他の障害者のために働いた方」他にもいろいろあるのだが、賞金は今までの十万円から百万円にしてもらった。百万円の根拠は、軽自動車が買える、身内とハワイ旅行ができる。風呂場、台所、サンルームなどの改増築ができる、ということだ。
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