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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 教養が邪魔する  
コラム名: 私日記 連載41  
出版物名: サンデー毎日  
出版社名: 毎日新聞社出版局  
発行日: 1998/01/18  
※この記事は、著者と毎日新聞社出版局の許諾を得て転載したものです。
毎日新聞社出版局に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど毎日新聞社出版局の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   一九九七年十二月十五日
 或るパーティーで、ひさしぶりに上坂冬子に会う。すると知人が彼女に「おいしいお寿司、食べに行かない?」と誘っていた。ことのなりゆきで、私も誘ってくれそうだったのに、上坂冬子が、
「え? OECDがどうしたの?」
 と聞くから、その人は笑って行ってしまった。ほんとうに教養が邪魔するとはこのことである。
 十二月十六日
 丸三日、ぐずぐずしたあげく、やっと少し風邪抜ける。
 夕方七時から、作曲家の三枝成彰氏夫妻と麻布で会う。アサヒビールの樋口廣太郎氏と夫人の公子さんもいっしょ。公子さんと私は聖心の時の同級生。「何年いっしょだったの?」と聞かれて「十七年」と答えると、三枝氏唖然。
 樋口夫妻を通して三枝さんと「レクイエム」を作る計画が持ち上がっていた。自信があるわけではないけれど、私は性格的に、いつも死に向いている。今まで自分の葬式のミサの聖体拝受の時に流す曲をどれにしようかずいぶん迷って、まだ決まっていない。
 三枝氏は、もう来年九月十九日に、池袋の東京芸術劇場で大友直人さんの指揮で、この新しい日本のレクイエムを発表することに決めていると言う。そのために、一月一日からきっかり仕事を始めたいと言われる。
 一応葬儀ミサの形式を取りつつ、私の好きな祈りや詩篇や詩を入れることを考える。アッシジの聖フランシスコの「平和の祈り」、『コヘレトの言葉』の「すべてのものには時がある」、シャルル・ド・フーコー神父が愛する従姉・マリー・ド・ポンディー夫人に宛てた別れの手紙から取った「この悲しみの世に」など、入れたいものはいくらでもある。
 まだ会ったことのない私の読者の一人だというY・Cさんは、最近、ご主人を亡くされた。その時作った英文の詩「死は優しかった」はすばらしい作品なので、私が意訳して使いたい、とその許可も求めようと思う。
 毎年、障害者との聖地巡礼の旅行の時、指導司祭を務めてくださる坂谷豊光神父に用事があったので、その通信文の最後にも、「来年の九月十九日を空けておいてください」と書き添えた。
 坂谷神父は結婚式が嫌いで、葬式は大好きという神父である。どうして結婚式が嫌いかと言うと、すぐケンカして別れたいの何のと言うからだそうだが、その点、葬式は完結していてすばらしい、と言われる。
 この上、葬式の曲も決まれば、さらに完壁、ということで神父も喜んでくださるだろう、と考えたのである。
 十二月十九日
 八時半、執行理事会。
 九時半、日本財団の仕事の幾つかの評価を委託した会社の報告を聞く。偶然なのだが、私はこの会社が評価に行った後に、同じ場所をなぞるように評価しに行った。それで評価会社の評価を評価することになってしまった。こういう嫌なことをされたのは初めてだろうとお気の毒に思うが、うちの財団は、甘い口当たりのいいレポートを出してもらっても通らないことを認識してもらうのに、ちょうどいい機会だった。
 その後、毎日新聞の学芸部の取材。
 ジンマシンがますますひどいので、聖路加国際病院の内科の診察を受ける。ここ一カ月くらい、原稿を書く代わりに手足を掻いていた。思えば実にいろいろなものを「かいて」生きてきたものだ。恥をかき、理解を欠き、義理を欠き、茶碗を欠き……。
 十二月二十日
 明け方三時頃、またジンマシンが出たので、抗ヒスタミン剤を一粒飲んだ。
 朝八時「いい加減に起きろよ」と言われてしぶしぶ付き合いで朝ご飯に蜜柑ジュースとケーキを一切れ食べたが、「もう少し寝かせてください」と再び二階へ。午前も午後も夜もずっと眠って、かくして楽しく有益なはずの土曜日はなかったも同然。その間ずっと「人間をやめてた」という感じ。すごい薬があったものだ。でもおかげでジンマシンはびっくりして引っ込んでしまった。
 夜になって少し原稿を書いてみる。書くときは気がつかないのに、三枚の原稿に誤字が五つ。いつもこんなものか、それともジンマシンの薬のせいか、しばらく考えこむ。
 十二月二十一日
「東京ふれあいマラソン・神宮外苑ロードレース」の第二回目。去年も盛会だったが、今年はランナーが約千人増えた。知的障害のある人たちの参加部門もできた。
 今年も瀬古利彦さん、鈴木博美さん、谷川真理さん、と巨人軍の川相昌弘選手、淡口憲治コーチが、盲人の伴走に来てくださる。こういう友情はほんとうに温かくてすばらしい。日本太鼓連盟からも、東京の「真如太鼓」と福島の「ひろせ梁川太鼓」の二組が、お腹に響く声援を、神宮の森から送り続けてくれる。
 大勢の人で少し上がっていたら、控室に上品な紳士がお一人座っておられた。笹川陽平理事長の兄上であった。申し込んで十キロを走ってくださったとのこと。ゼッケンをヤッケで慎ましく隠して訪ねて来られたのである。
 



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