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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 天気の話?無難な“挨拶がわり”だが…  
コラム名: 自分の顔相手の顔 250  
出版物名: 大阪新聞  
出版社名: 大阪新聞社  
発行日: 1999/06/29  
※この記事は、著者と大阪新聞社の許諾を得て転載したものです。
大阪新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど大阪新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   外国のテレビ放送と比べてみて日本が変わっているのは、テレビで実に頻繁に天気の話をすることである。それも情緒的に、梅雨に入ったか、初霜或いは初雪が去年より何日早いか遅いか、桜前線がどこまで来たか、を必ず言う。アナウンサーのお嬢さんがスタジオの外で、「今日はもう頬がひりひりする日差しなんです」とか「今日は傘を持っておでかけください」などというのは、考えようによっては奇異な感じがする。
 気候や気温に対する感じ方くらい個人差があるものはない。だから個人の感覚など、実はどうでもいいのである。用心して傘を持って出るか、それともめんどう臭いから濡れても手ぶらで行くかは、その人の判断と生き方の問題だ。雨になるだろう、はいいけれど、傘を持っておでかけください、は余計だと私は感じる。
 或る時、頭はいいのだけれど過保護気味の高校生とグループ旅行をするチャンスがあった。そのうちの一日はかなりの雨だった。ホテルの玄関でその青年といっしょになった。彼は手ぶらで、何の雨具も持っていなかった。
 一方、夫は上下に分かれたレイン・スーツを着て、ボランティアとして活動できるように身支度を整えていた。青年は夫に言った。
 「どうして雨だ、ってわかったのかなあ」
 いい年をして大人気ない夫は、その子の性格に陰では好意を持っていながら、表向きはアイソのない声で答えた。
 「窓から外を見りゃわかる」
 この青年は恐らく、いつもお母さんかアナウンサーに「雨になりますから雨具の用意をお忘れなく」と言われるのに慣れていたのである。だから雨かどうかは「窓から外を見りゃわかる」という原則を忘れていたのだ。
 外国の天気予報は、もっとドライに気象学的な事実だけで、個人的な思い入れなど放送していない。さらに日本人のように、紫陽花が咲いたの蝉の声が聞こえ出したの、という話もない。自然を取り入れるのは、四季があって、俳句の歳時記文化的な感覚を持つ国民の特性だとわかってはいるが、それが自分で気象図の読めない青年を作り、放送時間の浪費にもつながっている。東京で見られるテレビ局が、どのチャンネルを回しても天気予報だという瞬間があるのは困りものだ。
 小さい町で知人に会うと挨拶代わりに必ず「どこへお出かけです?」と聞かれる。「デパートへ」と言えば「あの人、買物ばかりしている」と言われ、「銀行へ」と言えば、「お金があるのをみせびらかすのかね」と言われ、だからいつでも「ちょっと郵便局へ」と言うことにしているという人がいる。お互いに顔を合わせたら天気の話だけしておけば無難だということが、日本人全体の中に浸透してしまって、それがテレビの放送にも影響を与えているのだろうか。しかしまだ若いくせに天気の話ばかりするな、と言いたくなる時はある。
 



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