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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: お見舞い?生きる意欲そぐ安全第一  
コラム名: 自分の顔相手の顔 259  
出版物名: 大阪新聞  
出版社名: 大阪新聞社  
発行日: 1999/08/04  
※この記事は、著者と大阪新聞社の許諾を得て転載したものです。
大阪新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど大阪新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   脳溢血で倒れた友人を見舞いにいく手筈を決めていたのが、ちょうど江藤淳さんのお葬式の日だった。
 私はしなければならないことが重なると、どれからしていいかわからなくなるので、中年になってからは一応原則を決めることにした。人間の体は一つ。体力だって年相応になくなって行くのだから、一人で二カ所も三カ所も行くことはできない。
 その結果、病気の方のお見舞いをまず第一にして、「亡くなった方は後」というルールを作った。遺族がいられるとお顔を見に行く方がいいと思うが、江藤家にはもうどなたも残っておられないので、私は列車に乗って行って友人を見舞うことを優先したのである。
 顔を見ると、声は小さいが返事もしっかりしているし、昔の記憶など私よりはるかに細部まで覚えているので、私は恥ずかしくなってしまった。お風呂にもよく入っているので、肌も私より若くきめ細かく、不思議な威厳と気品まで感じられるようになっていて、私は「あなたってこんなに美人だと思わなかった」と正直な感想を述べるはめになった。
 動かないはずの手も脚も少しずつ動くようになっていたので、私はほんとうに嬉しさでいっぱいになった。少しでも動けば、必ずもっと動くのである。
 ほんとうは私一人で共通の知人のお墓参りをするつもりだったのだが、彼女も行く、というので、二人で出かけることにした。気持ちの優しい運転手さんのタクシーを頼み、すばらしい技術と優しさを持った付添いさんといっしょにドライヴに出たのである。
 車椅子の生活だけを数カ月して来たのだから、タクシーに乗り移ることだってかなりの苦労だろうと思うのだが、友人はしっかりしている。車椅子の前に立ってもらうとゆっくりではあるが自分で着実に向きを変える。
 お墓参りの後は、喫茶店に行くことにした。私たちくらいの年齢の女性が二人揃えば、必ず喫茶店くらい行くものだから、その通りにしたのである。そこで滝を見ながらお喋りをした。付添いさんと私はアイス・コーヒー、彼女はメニューを見てアイス・フロートを注文した。そうして腰掛けていると、皆病気を忘れていた。
 喫茶店から再びタクシーに乗る時に驚いた。その日、病院を出た時と比べて、明らかに脚取りが軽々と巧者になっているのだ。
 目的を持つこと、遊ぶこと、が、体を治すためにどれだけ必要なものか。病院で安全第一にしていたのでは、生きる意欲が沸かないのである。
 私はいつも、老人こそいつ死んでもいいのだから冒険をしていいのだ、と言っているが、病人もまた、少し冒険をすると早く治るのかもしれない。患者にすぐ訴えられるから、医者は怖くて消極的に禁止ばかりするが、それが病人を治さないのである。
 



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