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夫の三浦朱門が産経新聞社から正論大賞を頂くことになっても、私は改まって何のお祝いもしなかったが、暮の一日、陶器市を通りかかった時、一個千円の飯茶碗の山の中に、おもしろいものを見つけた。 白い茶碗で一匹の招き猫がついている。猫の部分だけレリーフになっているのだ。そして猫の右側には「大入」、反対側には「商売繁盛」と小さく書いてある。 彼が普段使っている湯呑みは「七福神」勢揃いの図で、見るだけで悪趣味でお茶がまずくなると言った茶人もいる。私が「こういう古典的通俗的なデザインは今になくなるでしょうから」と保存用に買って来たものを、喜んで使っているのである。そこに今度は招き猫の茶碗が加わったのだから、何とも言いようがない。当人は、猫の顔が何となくおっとりしているところがいい、と言う。 夫はほんとうは商売繁盛など好きではないのだ。繁盛したら長時間働かねばならないし、大入りの客が来たら休むこともできない、と考えるらしい。何とか食べて行けて、ゆっくり本を読めることが、一番いいのである。外出から帰ると、まずお風呂に入り、縞模様のパジャマを着て世間から俗悪と言われるテレビ番組をベッドの中で見れば、ご機嫌である。うっかり商売が繁盛したり、客が大入りになったりしたら、こういう幸福がすべてふいになるから困るのである。 夫は年を取ると共にますます人生にふまじめになった。昔からわりとおしゃれなところもあったのだが、最近はおしゃれと共に、滑稽なことがもっと好きになってしまった。 金キラで成金趣味の七福神の湯呑を使い出してまもなく、裏千家の宗匠夫人にお会いしたら、「登三子さん、今度ボクの『七福神』の湯呑に箱書をしてください」などと目茶苦茶なことを言っている。たかがおみやげ用の湯呑で、もともと箱なんてボール箱しかないのだ。登三子さんはユーモアのよくわかる方だから、バカな中学生が言うような話は、聞こえないふりをしていてくださった。 まじめなこともいいのだが、時にはふまじめなことも楽しんでいる。倍楽しめるというのは得なことだろう。女房の私は、夫のお祝いをたったの千円で済ませられたことになる。 若い時は、誰でも世間が少し怖い。他人から「あの人は『商売繁盛』と『大入』が好きなのだ、と本気で思われたら困る」などと気にして、たかが茶碗一つでも気楽に遊ぶことができない。 しかし年を取ると「人生の裏」や「裏の裏」や「そのまた裏」などを自由自在に考えて遊べる。自分がどんどん分裂して来るのだから、人も多分、そんな程度に外見と中身とは違うのだろうな、と思えるようになる。すると相手に対する楽しさも尊敬も増すということなのだろう。 年を取ることの悲惨さばかり言われるけれど、おもしろさも深くなることはあるのだ。
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