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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 集中治療室?愛のない恐るべき空間  
コラム名: 自分の顔相手の顔 177  
出版物名: 大阪新聞  
出版社名: 大阪新聞社  
発行日: 1998/09/28  
※この記事は、著者と大阪新聞社の許諾を得て転載したものです。
大阪新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど大阪新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   人権、人権の大合唱の中で、最近、ほんとうに人権がない、と思う場所の実情を見た。
 身近な人が、心臓の発作で、救急車で入院して集中治療室に入ったのである。見舞いに行ったら、意識もちゃんとあって顔を見たら喜ぶだろうから、面会をして行ってください、と言われた。
 全く恐るべき空間であった。医師たちはいい方たちだと評判はいい。インフォームド・コンセントもしっかり行われているし、見に来てくださる女医さんも優しくて明るい。
 しかし今の集中治療室というものは、意識のない人に限って入れるのを許す、と考えるべきではないだろうか、と思った。病人はもともと洒脱な人だから、私の言う冗談もちゃんと受け止めるほどはっきりしている。私が、「そんなにわがままを言うと美人の看護婦さんに嫌われますよ」とか「心電図がついているから、何でもわかるんですよ。ヨコシマなことを考えると横に縞がでるんだから」などと言うと、ニヤリと笑うくらいお洒落な精神は衰えていない。その人が微かな声で「こんな所は人間のいる場所じゃない」と囁く。精いっぱいの訴えである。
 あんな無機的な部屋で、意識のある人が暮らせると思うなら、医師自身があそこへ一週間くらい入ってみたらいい。当然なことだとは思うが、植物の気配も窓からの眺めもない。時間を潰すテレビもラジオもなければ、新聞も読ませてくれない。疲れ切っている家族が付き添ってせめてもの会話を楽しめる穏やかな空間もない。
 あんなところで一刻一刻を、意識のある人がどうして耐えるのだ。今の私だったらまだ耳がいいから、机のところで喋っている医師や看護婦さんたちの会話を盗み聞きするという楽しみくらいは残っているかもしれない、と思ったが、高齢になって耳が遠くなったら、そんなことも不可能だ。
 集中治療室というのは、看護する側の都合だけを考えて作ったものである。あそこでは肉体だけを生かして、精神を生かすことは全く考えていない。誰かがかつて一度ああいう空間を創出したら、誰もああいう設備に疑問を抱かなくなった。世界中でどれだけ大勢の歴代の医師があの部屋に係わったか知れないのに、柔順な人たちばかりである。あの部屋は患者にとっては残酷極まりないものなのではないか、という疑問を提出しなかったのか、病院側が人間を「もの」と心得ていて、訴えを一切聞かなかったかのどちらかである。
 私は意識が残っているうちは、ああいう部屋に入りたくない。最期の数日なら、なおさら家族との会話が惜しみなくできる部屋で、今日はどんな陽がさし、どんな風が吹いているか、せめて見える場所にいたい。人権と言うものは愛がなければ全く形式だけになる。集中治療室には医療の技術はあっても、愛に関する配慮がないから人権はない。
 



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