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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 小心なギャンブラー  
コラム名: 私日記 連載42  
出版物名: サンデー毎日  
出版社名: 毎日新聞社出版局  
発行日: 1998/01/25  
※この記事は、著者と毎日新聞社出版局の許諾を得て転載したものです。
毎日新聞社出版局に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど毎日新聞社出版局の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   一九九八年一月一日
 元旦は朝八時に、夫婦とお手伝いさんとで、呑気ないいお正月のお雑煮。緑は庭から摘んで来たばかりのホウレンソウ。三つ葉も鳴門も買うことは要りません、と言ってあったので、上等の蒲鉾と、暮れのうちに私が買って来ておいたおいしい鶏肉をいれた東京風のお雑煮である。
 私の家では、もう数年も前に、社会的なお正月をすることから引退した。もともと大して何もしていなかったのだが、わずかばかり仲人をした人たちが、律義に挨拶に来るのもやめてもらった。つまり身勝手正月をすることにしたのである。それにお正月の頃、私はいつも風邪気味である。今年も例外ではない。
 明日からシンガポールヘ行き、その帰りに一月九日から、タイのバンコックで行われる「アジア太平洋フィランスロピック(人道)協会」の会議に挨拶に立ち寄るのだが、暑い国に行く支度もしなければならない。さらに複雑なのは、その帰りにまた一晩だけ韓国ソウルヘ寄るのである。そこは零下の寒さである。サマー・セーターや夏服を出そうとしたら、結局、整理の悪いまま年を越した納戸の中をか掻き回すことになった。元旦の朝から、密かに「怠け者の正月働き」をしたわけだ。
 年賀状ももう十年以上前からやめた。一月下旬に、私は海外邦人宣教者活動援助後援会に寄付をしてくださった方たち約二千人に、決算報告を発送しなければならない。それだけで手いっぱいで、年賀状まで書く体力がない。
 今年の元旦の嬉しいお客は、私の父が、私の母と離婚した後で結婚した女性との間にできた娘、つまり私の息子より年の若い妹の英美が結婚して、初めて夫の宇田川直人さんと夫婦で遊びに来てくれたことである。
 私の父と母は仲が悪い夫婦で、私は家を火宅と思って育った。六十を過ぎてから二人が離婚した時、正直言ってほっとした。英美の母になる女性との結婚も、私は大賛成だったし、彼女が生まれた時もああよかった、と思った。
 私の妹だけあって、彼女は変わった性格だが、世間や他人には流されることがないし、私よりはるかに礼儀正しく、ユーモアのセンスもあり、私とはずっと仲がいい姉妹であった。
 たった一つこの結婚に難癖をつけるとすれば、これで私の一家には「先生」以外の職業の人が一人もいないことになった。亡くなった舅、夫、夫の姉とその夫とその息子と嫁、私の息子、すべて「大学の先生」である。英美は塾で教えているからやはり先生。彼女くらいせめてお漬物屋さんとか、てんぷら屋さんと結婚してほしかった。そうすれば、私はおいしいものにありつけたのに、というような浅ましい話をして楽しい一夜。
 一月二日
 朝八時半、家を出て、十二時発の飛行機でシンガポールヘ。夕方、六時少し過ぎ、あの煙霧に悩まされたのが嘘のような澄んだきれいなシンガポールの夕日を見る。
 飛行場で先に着いていた息子の太郎に会う。孫の太一は今高校の受験準備中なので、今年は珍しく太郎だけ来ている。タクシーの中の会話。
「ペナンの競馬はどうだったの?」
「儲けたよ」
「そう、よかったわね。いくら?」
「二リンギット」
「日本円でいくら?」
「八十円」
「小心なギャンブラー」というものは、滑稽なものだ。
 一月三日
 シンガポールの競馬場へ初めて太郎に連れて行ってもらう。今日はペラク・ミーティングの第一日目。つまり馬のいない競馬。しかもよその国で馬が走るのをスクリーンで見て賭けている人がいっぱいいるので呆れる。
 ここは芝生なのに、楕円形で左廻りなのはおかしいと息子はぶつぶつ言う。うっかりすると、ギャンブル論をやっている文化人類学者の息子の講義が延々と始まるので、とにかくいい加減に馬券を買う。出走馬の名前は、ブルー・ジニアス(天才人物)、リバティー・ハウス(自由議院)、マミイズリーゾン(苦口婆心)などと名前がおもしろい。三レースに四十五ドルかけて、二十五ドル取り戻す。
 一月四日
 朝八時のミサに出てから、大丸で白っぽい靴とハンドバッグを買う。はきなれた黒靴と外国旅行用の大きなハンドバッグは、しみじみ見ると共にかなり型くずれしている。夏用の小物まで、カバンに入れる気力がなかったのだ。
 チャイナ・タウンのデパートヘ廻って、高血圧の知人三人のために田七人参も買う。日本では一月分九千円。ここではたったの二百四十円。薬九層倍どころではない。
 昼はラッフルズ・ホテルのブランチに陳共存氏夫妻に招ばれた。この町で時々暮らすようになってもう九年になるが、ラッフルズで食事をするのは今度が二度目。ビリヤード用の大広間がブランチの食堂になっていて、冷房はなく、昔風の扇風機が廻っていてけっこう涼しい。
 ここのところ、毎日凄まじい驟雨。風と横殴りの豪雨が七階の高さまである木全体を揺するのを見ていると、時間を忘れる。
 



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