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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 政治の世界?国会には窓がないのだろうか  
コラム名: 自分の顔相手の顔 390  
出版物名: 大阪新聞  
出版社名: 大阪新聞社  
発行日: 2000/11/28  
※この記事は、著者と大阪新聞社の許諾を得て転載したものです。
大阪新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど大阪新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   先日来の国会のごたごたのニュースを私はあまり見ていない。テレビを見る時間がないのと、国会のニュースを見ても、知識の足しにならないような気がするからだ。しかしときたまチャンネルを廻していると、国会の光景が画面に映ることがある。私の印象は一つしかない。いつもあの椅子に長時間坐っているのは大変だろうなあ、ということである。私はワープロ作家でキイを打つスピードもかなり早いのだが、三十分に一度は立ち上がって他のことをする。植木に水をやったり、インド式のカレーを作ったり、塵を棄てたりする。座り続けという姿勢に耐えられないのである。
 したがって政治の世界はかいま見たいとは思わないが、もし思うとしたら、絶好のものがあった。新版『中曽根康弘句集』である。
 中に「首脳会議」と題するものがある。会議が嫌いな私は、総理という立場の方たちが、首脳たちとの会議の間どんな瞬間をお持ちなのか、わからないままに、いささか覗き見趣味で読んだ。
 私はやはり他人の家の「板塀」の節穴に眼を当てて覗くことはしたくない。第三者の風評も聞きたくはない。第三者の風評ほど、不正確なものはないからである。
 しかし芸術というものは実に不思議な力を持つ。当事者自らが、自分の言葉で語った場面は、「事実」ではないかもしれないが、間違いのない実感的「真実」となって一つの世界を伝えて来る。
 ここには五つの句が並べられている。
 「言うべしとボタンを押す指汗ばめり」
 「雨脚をみつむ論点を絞りつつ」
 「ほぐれざる会議のしじま若葉雨」
 「ぬか雨や会議倦みたるシャンデリヤ」
 「論争は止みてしじまに紅きバラ」
 私はふだんはおしゃべりの癖に、会議の席では言うべきだと思う時でも面倒くさいので黙っていることがある。総理になるような方には、こうした心のブレーキが全くなくて済んでいるのかと思っていたが、ボタンを押す時は、やはり心理的な汗をかいておられる、というのだ。
 「論点を絞る」などというまともな努力もなしに、私もよく会議中に雨を見ている。夕焼けや隣のビルの窓の明かりも感動して眺めている。つまり不真面目なのだが、会議中に見る雨や風は、一つの救いであり、人間が一つの乾いた機能と化してしまうのを防いでくれている。国会には窓がないのだろうか。
 そしてまたシャンデリヤというものは、全世界で何と多くの無駄な、或いは悲劇的な会話を黙々と聞いて来たものだろう、と思う。たった一個の丸いガラスの笠を載せた庶民の電灯の暮らしにはない、重苦しさである。そして世界中で人々が会議のテーブルに赤いバラを飾るのは、論争によって受けた傷の血を暗示し、その傷を癒す以外、何の目的もないだろう、などと女々しい私は考えるのである。
 



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