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小さな「大国」思慮深いのかずるいのか スイスという国は、「小国」なのだが、小国のもつ本来の実力以上の「大国」として世界で振る舞っている??それがジュネーブの三日間の駆け足旅行で、私が得た旅の総括であった。ここでいう実力とは、国土、資源、人口、軍事力、経済力など、古典的な尺度からみた「国力」のことである。 なぜ国力の劣等な国が、「大国」として世界で振る舞うことが可能になったのか。それがこの国の秘密なのだが、「なぜ?」といわれても、ひと口ではいわく言い難しなのである。この「なぜ?」の問いをジュネーブの国際関係大学院のスウォボダ学長にした。すると苦笑しつつ、「この国は要するにSTRANGE(奇妙な)COUNTRYなんだよ」というのだ。 「なぜ奇妙なのか。どこが他国と根本的に異なるのか」。そこが一番知りたいところである。スウォボダ氏とレマン湖のほとりのレストランで昼食をとりつつ、二時間もしつこく聞いてみたのだ。 独立心旺盛、思慮深く、冒険心に富み、積極的で決断力あり。それがスイス人の長所であり、こうした人間像が、この国をして世界にも類まれな多角的「外交力」を発揮させ、今日の“小さな大国”を築き上げた??同氏の語るスイスの自画像を、私なりにまとめてみると、そういうことになる。もちろん、このスイス人の長所の指摘にウソ偽りはない。だが美しい言葉で表現すれば……という限定条件がついているのではないか。 同じことを皮肉屋の悪魔の言葉で語り出すと、より実感がわいてくる。すなわち、「独立心旺盛」とは、「エゴが強い」であり、「思慮深い」は「したたか」「ずるい」に通ずる。「冒険心に富む」は受け手から見れば、「おせっかいで攻撃的」に映るし、「積極的決断力」とは、相手からみれば、「手前勝手で押しつけがましい」と受けとられる。 要するに、高い山に囲まれ出口のない風土と、列強に囲まれた地政学的条件が、こうしたスイス人の特性をはぐくんだのだ??といえる。日本人のスイス観は、理想の国、平和の国、美しい国が一般的で、「東洋のスイスになりたい」などという甘っちょろいのもある。だがスイス人は「甘っちょろい」の正反対の存在である。もちろん「悪い人」ではないが、「人がちょっぴり悪い」のである。 欧米人のなかにも、スイス人嫌いの人はかなりいる。その「したたかさ」に辟易するという人もいる。第二次大戦後のアメリカは、とくにスイスに対して、風当たりが強い。それは、スイスは「永世中立」をかくれみのにして、“自分に都合のいい”国際主義を唱えるくせに、国家としての国際的義務を果たしていないと映るからだ。 とにかくこの国はたいした国だ。“はっきりしている”というか、“ちゃっかりしている”といおうか。 例えばである。なぜスイスはEUに加盟する気が毛頭ないのか。このあたりのことは、日本人のヨーロッパ政治学者でも、即答はできまい。再び、スウォボダ氏に登場してもらう。 「スイスという国はね、外の危機がないとうまく国内システムが動かない国なんだ。小さな国で、人口も六百九十万人しかいないのだが、連邦制で州の力が強いんだ。内閣は連邦会議という名前でね。上下両院が選んだ七人の閣僚の合議側で政治をやっている。大統領は任期一年の官僚の輪番制だ。そういう政体の国で、コンセンサスを作るには、外の危機が必要なんだ。EUに入ると外の危機がなくなってしまうからね。まあ最近では、EU不加盟の中立の意味が変わってきた。EUに入らずに中立で独自の立場を確保するのは、EUというわずらわしい国際制度に左右されたくないということだ」 スウォボダ氏は、そういう。同じ問いかけを国際交渉応用研究センター国際制度のフレイモンド所長にしたら、もっとはっきりした答えが返ってきた。「スイスは自然条件は欧州に属するが、EUやNATOは不要だ。スイスは欧州の共通の家なんかいらない。もっと広く世界のことを考えている。スイス人は、本来的に世界主義者(グローパリスト)なんだ」と。 「世界主義」を旗印に、スイス人が国際社会を取り仕切っている典型的な例が、国際赤十字活動である。赤十字の旗は、スイス国旗の赤と白をそっくりひっくり返したものだが、それはスイスの中立性と世界主義を象徴している。つまり、戦時においては負傷者は敵味方の差別なく救護する。救護にあたる人は“中立”とみなし、攻撃してはならない。救護団体はあらかじめ各国に組織し、国際的つながりを常時作っておく??それが赤十字のモットーである。 この世界的人道主義活動を主宰しているのが、ジュネーブの国際赤十字委員会。これは実は、スイスにあるスイス人による慈善団体であることを知る人はいない。国連のような多国籍の集合機関ではないのだ。 国連などに加盟して、数々の義務を負わされるよりも、自分流の国際主義を推進するほうが、スイス人の好みに合っている。そういってはなんだが、国際主義のいいとこ取り、つまり使い分けである。 スイスの銀行秘密口座も、広い意味では、この国流の国際主義の産物ではないか。スイスの国内法では、脱税は犯罪ではない。もっとも、これは「犯罪とは何ぞや」の定義いかんにもよるが、スイス人の説明によれば、「脱税はCRIMEではなく、FINE(追徴金)の対象であるに過ぎない」という。そしてCRIMEによって得られたカネであることが立証されない限り、いかなる国のマネーも、実名を公表せずに預金を受け入れるのだ。 「中立」と「国際主義」をうまく組み合わせたスイス独特の銀行制度、今日ではあちこちにライバルが出現している。それは、いわゆるオフショア・マーケットだ。脱税のカネであることには、国家主権は目をつぶることによってスイス流の国際金融市場を創設し、もっと大きな、国民経済的利益を追求する。それが、オフショア金融市場なのだが、「気になるライバルは、ロンドンだ」とスイスの経済人はいう。 「中立性、国内的団結、世界主義の三つの花弁をもつスイスという草花が、さらに美しく、大きな花に育つかどうか」 それが二十一世紀の課題だ、と前出のフレイモンド氏。多角的な外交力こそがそのための武器だともいう。外交下手の大きな「小国」である、金持ちのどこかの国にぜひとも聞かせたい話。こういう国が、万一、国連に加盟したら、さぞかし世界は、振り回されることだろう。
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