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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 五トンのミルク  
コラム名: 私日記 連載35  
出版物名: サンデー毎日  
出版社名: 毎日新聞社出版局  
発行日: 1997/11/30  
※この記事は、著者と毎日新聞社出版局の許諾を得て転載したものです。
毎日新聞社出版局に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど毎日新聞社出版局の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   一九九七年十一月四日
 朝八時半家を出る。
 出勤の自動車に積み込む荷物が一山ある。まず徳島市に差し上げるバオバブの苗。この子は生後まだ二週間しか経っていないのに、もう背の高さが二十センチ。
 他は十三日からのアフリカ旅行の携行品である。わずかずつだが醤油、味噌、米、蕎麦。六箱のラーメン。奥地に住むシスターたちにライスカレーとざる蕎麦を作って食べて頂く予定だ。
 九時半、日本財団着。話があちこちの部からたくさん。十時、執行理事会。その後、先日銀行の債券で、海外邦人宣教者活動援助後援会に寄付された千六百万円を現金化し、後援会名義の定期預金に組む。
 車の中でサンドイッチを一個食べて、陸上自衛隊幹部学校で、聖書とはいかなる書物かの講義。戻ってラジオ日本で録音録り。
 夜、家に帰ると、知人からファックスで十月二十五日付の毎日新聞の「放談」欄で、俳優の吉田日出子さんという方が「新国立劇場っていうのができたでしょ。芝居一本の予算が、高校演劇より少ないと聞いて、大笑いしたけど、やめた方がいいよね。あの意味のない、立派な『器』作るの」と発言している記事が送られて来ていた。
 こういうことは無責任に「大笑い」をする前に、いくら俳優さんでも簡単なことだから事実の調査だけはされた方がいいように思う。さらにこういう記事の内容は、通常、紙面製作に責任のある記者や校閲部が数字や事実を確認して、間違いがあれば発言者に注意し訂正するものだが、それが省かれているので、正しい数字が必要になっている。
 新国立劇場の新劇は、一本約九千五百万円の計算で、年間予算としては四本分三億八千万円が計上されている。オペラは三本分十一億四千万円、バレエは四本で五億四千万円。総計すると二十億円を超すが、これはもちろん充分な費用とは言えない。これらの芸術はすべて途方もなくお金がかかるものばかりだ。しかし「高校演劇より少ない」は間違い。
 十一月五日
 旅行前の執筆。
 アフリカヘ行く、と言うと、連載の担当者は、新聞社も雑誌社もイヤな顔をする。ことに私の日程を見て「電話・ファックスなし」というホテルや修道院に数日続いて泊まることになっていると、イヤな顔は露骨になる、ような気がする。電話もファックスもないところには、濃厚な人生があるのだが。
 日本はおいしい柿の季節。我が家の柿も今年は生り年。いかなる有名な果物屋でも売っていないほど甘いと家族が信じている柿は、私がまだ幼い頃からあったのだから、もう七、八十歳にはなるのだろう。種もあるが、中が黒く見えるほどゴマが浮いていて、江戸一という種類だと教えられていた。
 その柿を私が勝手に採ると、夫は機嫌が悪い。いいと言うまで採るな。カラスが食べても早くは採るな、というほどの思い入れ方だから、私はほってあるのだが、夕陽が当たる頃は、ほんとうに温かいいい色になる。柿の落葉もちゃんと集めて堆肥を作る。その堆肥と牛糞で作った小松菜と春菊がまた、おひたしにすると実にいい香りである。私は東京でも六畳分くらいの土地で、ナッパを「生産している」のだ。
 十一月七日
 夕方から理事会。
 数日前の執行理事会で、「ここのところ、会議用の資料に誤字や不備が少し多いようですから、お気をつけください」と言った時は実に落ち着かなかった。私自身が誰よりもその手のことに才能がなく性格も合っていないので、他人に注意できる立場にないからであった。
 だから今日の理事会でも誤字を一字指摘されると、それに気がつかなかった眼の節穴ぶりが恥ずかしくなる。乱視と老眼のせいにしよう。
 終わって五時半頃ホテルオークラヘ。第四回読売国際協力賞を私たちの海外邦人宣教者活動援助後援会が受賞する、授賞式の日なのである。
 四、五百人もの方たちが来てくださった。私自身は遠慮してあまり招待状のリストを増やさなかったのを、読売が気をきかせて招待してくださった方たちもたくさん。
 私たちの二十五年間の活動のことを読売に推薦してくださった中村五郎さんという方を、私たちは全く存じあげない。私がお礼の挨拶の中でお呼びしたら、やっと会場のどこかから出て来てくださって、初対面のご挨拶ができた。
 副賞の五百万円で、私たちは五トンのミルクを買うことができる。それは多分数十人、もしかしたら数百人の子供の命を救うことになる。
 さらに記念品としてコンピューターとか書棚とか読売の名前の入った残るものを、と言われたのに、受け取り用のハガキ六千枚をお願いして叶えられた。消えるものの方が、実は深く記憶に残る。
 夫は「おめでとう」と言われると「でもボクは何にもお金もらってないの」と言い、「ああいう活動的な奥サンだと大変でしょう」と言われると「ええ、でも女房は丈夫で留守がいい、って言うでしょ」と答えている。
 



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