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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: パリのおのぼりさん  
コラム名: 昼寝するお化け 第163回  
出版物名: 週刊ポスト  
出版社名: 小学館  
発行日: 1998/09/25  
※この記事は、著者と小学館の許諾を得て転載したものです。
小学館に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど小学館の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   約二週間にわたるアフリカの象牙海岸、ブルキナファソ二国の調査を終えた後、私は日本に帰るためにパリに出た。早朝に着いて実は一晩も泊まらずに再び深夜便に乗ったのだが、午前中ホテルに着いて髪を洗い、数十分まどろんで、それから一人で町へ出た。
 ブルキナファソのホテルでも熱湯は出たのだが、時々水が出なくなる。これは滑稽な悲劇で、熱湯だけ出て水が出ないのと、水だけ出てお湯が出ないのとどちらがいいか、というようなことを、ひとしきり真剣に?論争して笑ったこともあった。髪にシャンプー、体に石鹸をなすりつけた瞬間に断水するというのも、命にはかかわらない喜劇的悲劇で、そういう恐れがあるところでは、ついシャンプーや石鹸を使うことはできるだけ止めておいた方がいい、というのが私の体験から出た知識である。
 それでいてそういう国では、時々、日本では見られないほどの激しい驟雨が来る。その中へ石鹸を持って走り出て、私たちが一生に一度も体験したことのないほど広大で水量の多いぜいたくな自然のシャワーの中で、悠々と体を洗っていた青年の姿をフィリピンで見たことがあって今でも忘れられない。あれだけ広大なシャワー・ルームなんて、どんなアラブのお金持ちの王様だってお持ちではないはずだ。
 さて、パリでは清潔なバスルームで髪を洗ってから、町へ出た。飛行機に乗る前後には、歩くことが大切だからであった。ポルト・マイヨーのあたりは全く知らないわけでもないはずなのに、地下鉄の駅の場所を覚えていなかった。道行く人に聞いて切符を買い、人気もまばらなホームに下りたとたん電車が入って来た。どっちの方向へ行く電車かもわからなかった。そこにいた婦人に「フランクリン・ルーズベルト、OK?」と聞くと「イエス」と言ってくれたので近くのがらがらに空いていた車室の席に座った。
 二等車であった。これは特別の切符を買わねばならない席かなと思ったが、それもわからないのでそのまま二つ目の駅で下りた。ところがそれはフランクリン・ルーズベルト駅ではなかった。
 ホームで再び私はこの電車に乗れと私に言った婦人と顔を合わせた。私はいつも態度の悪い人間なので、その時だけは気をつけてできるだけ柔らかく「ここはフランクリン・ルーズベルトではなかったんですね」と言った。すると相手は少したどたどしい言い方で「ごめんなさい、私があなたの言葉をよく聴きとれなかったもので」と言った。それで私は、「私こそ、発音が悪かったんです」と答えた。フランクリン・ルーズべルトは、大げさに言うとホアンフリン・ホーズベールみたいな発音にしないとフランス風にならないのである。どうしたらフランクリン・ルーズベルトに行けるか、ということで、私たちはホームで立話をしたが、それはちょっと複雑なようであった。私は反対行きの、別の線のしかも急行に乗ってしまったらしいのである。
 婦人は五十代の穏やかな丸顔の女性だった。どんなものを着ていたかさえ記憶がないのだが、惨めでも、けばけばしくても、私は覚えていただろう。人生を、少しも爪先立ちせず、いつも踵の低い靴でしっかりと大地を踏みしめて歩いて来たような感じの人だった。
 彼女は駅員に、私がどうしたらフランクリン・ルーズべルトに行けるかを聞いてくれた。道を五百メートルほど行くと何とかいう駅があり、そこから乗ればそのまま乗り換えなしにフランクリン・ルーズベルトヘ行ける、という話だった。しかし私はその辺でタクシーを拾うことに決めていた。
 彼女は私を心配して、この道を真っ直ぐ行けば駅なのだから、と並木道を指して教えてくれた。そして「私が間違った道を教えたから」と繰り返した。
「いいえ、楽しい間違いでした」
 と私は笑った。
「道を間違えなければ、あなたにお会いできなかったでしょう?」

人間、喋っている間はなぜか相手を殺さない
 私の腕を軽く取っていた彼女の手に、その瞬間ちょっと力がこもった。
「それに、これが人生(セ・ラ・ヴィ)、でしょう?」
 私の使えるフランス語と言ったらそんなものである。
「私はいつでも、人生を楽しんで来ました。間違いをしでかした時でも、です」
 それは嘘ではなかった。ずっと昔私の家にナイフを持った強盗が入って、何もせず、何も取らずに逃げたことがあったのだが、その人が数日後に延々と脅迫電話をかけて来た時も私はその会話を楽しんでいた。第一通目の電話で「今回はしくじったけれど、次は必ずあんたをやる」と相手が言った時も、私は笑いだし「お互いにそれほどの者じゃないですよ。そんな芝居がかったことを言うのはやめにしましょうよ」と言った。
 三通目くらいの電話から(こちらの電話には逆探がついていて、刑事さんが私の背後にいたのを知っていたのだろうか、彼は転々と公衆電話を替えて、三分で切ってはまた掛けて来ていた)彼の態度は変わって来た。私が彼の逃げ足の早さを褒め、あの身のこなしなら、少なくとも立派なトビ職になって高給がとれるはずだ、と言ったからかもしれなかった。彼は私と喋るのを楽しみ、私の家の防犯設備の悪い点を全部教え、改良方法まで指示してくれた。表と裏に一匹ずつ犬を飼え。それができないなら、大きな音の出る防犯ベルを設置すべきだというのが彼の意見だった。そしてもう決してあんたをやるようなことはしない、と彼は誓った。
 結局、彼は十三通、私と電話で喋った。もっともこれが彼の逮捕の原因にはなった。通話はすべて録音され、国立国語研究所で精密に分析され、刑務所の待遇の非人権性を自分から語ったこの人がどこ地方の出身者であるかが、彼の言葉の語尾からかなり厳密に割り出されてしまったと聞いている。
 その時、刑事さんの一人が言った。「奥さん、脅迫されたり、危険な状態になったら、とにかく相手と喋った方がいいですよ。人間、喋っている間は、なぜか相手を殺さないもんだから」
 その言葉が今でも私の記憶に残っている。
 私たちが生きている時間は本当に短い。会う人も、会える時間も、それは得難いものだ。私たちはまずさわやかに挨拶し、お互いに礼節と人情を尽くして会っている時間を楽しくし、この世で会えたという偶然を心の奥底で深く感謝すべきだろう。
 楽しく暮らすというのは、物質的なことばかりではない。出会いを楽しむことも含まれる。そんなことならパリのおのぼりさんにでもできることなのである。
 



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