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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 一人の幼子?現実的解釈に新鮮な驚き  
コラム名: 自分の顔相手の顔 205  
出版物名: 大阪新聞  
出版社名: 大阪新聞社  
発行日: 1999/01/12  
※この記事は、著者と大阪新聞社の許諾を得て転載したものです。
大阪新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど大阪新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   新年最初の日曜日に行ったシンガポールの教会で、もう一つ発見したことがある。教会で配られる「今日のお祈り」を書いた紙の中には、その日歌う聖歌の歌詞も出ているのだが、「幼子(おさなご)が生まれる時」という歌の歌詞をしみじみと読んだのは、この時が初めてだった。
 歌詞はきれいなものである。
 「希望の光が空に明滅し、
  小さな星が天空に輝く。
  一人の幼子が生まれる時、
  真新しい朝が全土を渡る。
  沈黙の希望が七つの海を渡り、
  風が木々に囁(ささや)きを送る。
  一人の幼子が生まれる時、
  猜疑の壁は砕け、吹き散らされる」
 そこで歌が止み、神父が短い文を朗読する。
 「このようなことはすべて世界が待ち望んでいるからです。世界は一人の幼子を待っているのです。その子の肌の色が、黒か黄色か白か、誰も知りません。しかしその幼子は成長し、涙を笑いに、憎しみを愛に、戦いを平和へと変え、すべての人を隣人にするのです」
 再び歌が始まった。
 「今すべてこれらのことは夢と幻想、
  しかしいつの日にか現実のもの。
  一人の幼子が生まれる時、
  真新しい朝が全土を渡る」
 私は新しい解釈に、新鮮な驚きを感じた。メシア待望論かと思われる言葉にぶつかったのもひさしぶりなら、メシアがコーカソイドか、モンゴロイドか、ネグロイドか、どのような肌の色をして生まれるか、などということを気にしたこともなかった。
 メシア信仰は常に偽メシアの誕生を生むという危険を伴うだろう。ことに世紀末とか、新世紀などという時には、不安の中から、こうした危険が起こりやすい。
 シンガポールは多民族国家である。中国人、マレー人、タミール人、ヨーロッパ人、そして最近では出稼ぎのアジア人がたくさんいる。その中では、教会はこういう現実的、今日的な解釈の元に、平和と希望を人々に訴える他はない。私のように、メシアがどこの国のどういう肌の色の人として生まれるか、などということは一度も考えたことがない、という人間の方がずっと迂遠で非現実的なのだろう。
 むしろ今にメシアはブラックから生まれるかもしれないのだから、差別などするのはとんでもないことなのだぞ、と言う方が説得力があるのだと思う。
 教会では、見知らぬ人と手を繋いで「主の祈り」を捧げる。われわれ皆がヒューマニストでいい人だということを確認するのではない。「私たちが人に許すように、私たちの罪をお許しください」と皆で祈るのである。
 私たちは無力でいいかげんな人間だという点でも連帯を感じられるのだからおもしろいものだ。
 



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