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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 無名湖  
コラム名: 昼寝するお化け 第191回  
出版物名: 週刊ポスト  
出版社名: 小学館  
発行日: 1999/11/19  
※この記事は、著者と小学館の許諾を得て転載したものです。
小学館に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど小学館の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   私が働いている日本財団からのお見舞金三億円を、先日台湾にお届けしに行った。お金だけ振り込めぱいいというものではない。第一は、「心配しております」という心を示すことだからである。
 台北の飛行場から真っ直ぐ被災地の一部なりとも見ておきたい、という希望を伝えておいたので、マイクロバスは一路台中県の豊原市という所まで南下した。約二時間の行程である。
 地震からは約一か月と一週間ほどが過ぎていた。一九九五年の阪神淡路大震災の時にも、約四十日ほど後に私は被災地へ行った。息子一家が神戸の東灘区というところに住んでいたからである。
 その時、ずいぶんいろいろな知識を得た。あらゆるビルの外壁から装飾タイルが雨あられと降ってくる、と言われていたが、ビルの外壁は割れていても、タイルがすべて崩れ落ちた気配はなかった。ガソリン・スタンドと停車中の自動車は引火して火だるまになる、と言われていたが、ガソリン・スタンドの所で延焼が止まっている所を何か所も見た。
 最も被害が大きかったのは、日本風の屋根瓦を載せた二階家であった。一階がつぶれて、二階が一階になっている。屋根瓦が重いということがこんなに恐ろしいものとは思わなかった。ほかに新しく知った危険物は石灯籠である。塀を飛び越えて、道の中程まで五メートルもふっとんでいるのがまだ取り片づけられずに残っていた、これに当たったら即死だろう。
 今度の台湾の被害は、いわゆる山奥の村、その中間の町、そして豊原市のような都会と三つの部分にまたがっていて、それぞれに被害の状況が違うのだが、日本の場合と違うのが、あちこちで地面が盛り上ったことだ。
 道の右側が丘の斜面の末端、左手が平らな住宅地だと思っていたら、そのあたりは全く右も左も平らな土地だった、という。道が急に十メートル近い高さの急坂になっている、と見えた土地は、地震以前は坂も何もない平坦地だったのだそうだ。つまり地面の中に巨大なモグラがいて、それが大地を持ち上げた、としか思えない。「映画のゴジラと同じですよ」という人もいた。
 ごく最近、ほとんど同じデザインで建てられたマンションが二棟あった。それらの建物は一階が地面に埋まり、二階が一階になって、しかも二階が全く違う方角に大きく傾いている。もちろんもう人が住める状況ではないから、新しい廃墟になっている。
 そこで十人が亡くなったという。
 マンションの向うは、やはり七、八メートルの落差がある空地だと思ったら、以前はひと続きの同じ高さの平地だったのだ。私たちが昔からの坂道だと勘違いした道路は、素早く仮の補修をしたからで、国民皆兵をやっている国はこういう時、国軍を有効に使えるのであろう。
 傾いた二棟のマンションから、ほんの十メートルか十五メートルしか離れていない所に建っている別のマンションは、もちろん無傷ということはないだろうが、大きな被害はなくて、居住者は今も前と同じように住んでいる。
 
それはただ運であった
 関西の地震の時も、同じようなことがあった。日本の家だから土地も広くはないのだが、生垣をへだててお互いの家の台所の窓や居間の陽溜りが目と鼻の先に見えていたであろうと思われる二軒の家が、一軒は跡形もなくつぶれ、一軒は全く何でもないのだ。
 その奇妙な運命の別れ方は、その地震の時、空には一匹の眼に見えない巨大な龍がいて、その十メートル近くはありそうな強靱な爪が地表を、一直線にではなく、うねりながら引っかいて行ったので、ちょうどその爪に引っかかった家だけが薙ぎ倒された、という感じである。
 台湾の地震では、その時、眼に見えない巨龍が空を飛んだのではなく、地の底で暴れ出し、時々地表に出ようとして頭突きをした時に、その近くにあった建物を完全に横倒しにしたり傾けたりした、という感じである。
 ただ、どちらにも共通しているのは、巨龍の爪に引っかけられたり、頭突きに遭って亡くなった人たちは、決して勧善懲悪の結果ではなかった、ということだ。悪いことをしたから罰を受けたのではない。いいことをしていたから、災難を逃れたのでもない。
 それはただ運であった。
 現代は運というものの存在を認めないことが私には怖い。働き続けたアリにも踏みつぶされる不運なのもいるし、夏の間遊び続け、欲ばかり願っていた怠け者のキリギリスにも暖房のある建物の隅っこで生き延びるのがいるのが現代というものなのである。私たちは一応の努力はすべきだが、努力の結果が正当に過不足なく評価されるべきだと言うのは思い上りなのである。
 この龍の頭突きによって地面が割れた幅は意外と狭いもので、ほんの二、三十センチだという。しかし長さは八十キロにも及んでいる。
 もちろん素人が失礼な批判をするつもりではないけれと、地震の予知などというものは、まだなかなかできないものではないかという感じがする。同じ地震でも、関西と台湾中部とでは、様相が全く違うのだ。
 今度の台湾中部の地震のことも、それを言い当てた占い師はいなかったのだろう。人間の能力などというものはたかが知れている。
 場所をはっきりと確かめてこなかったのだが、今度台湾には、湖が一つできたという。人間が発電所のために山の中腹にダムを一つ作ろうとすると、数年の年月と一千億を越すお金がかかると見ていいだろう。
 しかし今度は二十秒間で出来た、と李登輝総統は笑われた。
「もう名前もおつけになりましたか」
 と私が聞くと、総統は、
「名前はまだない、です」
 と答えられた。人間の業と、私のような信仰者が言う「神の業」とはけたが違うのである。
 



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