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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 事件の校舎?すぐ建て直すことが必要か  
コラム名: 自分の顔相手の顔 444  
出版物名: 大阪新聞  
出版社名: 大阪新聞社  
発行日: 2001/06/26  
※この記事は、著者と大阪新聞社の許諾を得て転載したものです。
大阪新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど大阪新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   池田市で児童八人を含む学校関係者が殺傷された事件が起きた時、私は慢性的な貧困と飢餓から逃れられないアフリカを旅行中で、六月十六日に帰国するまで、事件の概略は英字新聞を通じて知るだけであった。文部科学省と学校当局が、惨劇のあった校舎を使うことは生徒の心理面によくないとして、建て替えることを計画しているなどという話は、結果的には知人が喋ってくれるまで知らなかったのである。

 「校舎は古かったんですか?」

 事件当時、現場の学校をテレビで見たことさえなかった私は尋ねた。近く建て替えを予定していた校舎なら、気持ちを変えるために建設の時期を早めるということはあるだろう。

 「新しく見える校舎でしたけどねえ」

 何というぜいたくを!と私は思った。文部科学省のただの一人も、そんな発想は世界の経済の実情の中で、恥ずかしいほど甘い考えだ、と言うことができなかったのか。文部科学大臣も副大臣もすべてそのことに賛成だったのだろうか。日本の教育は、ついにここまで子供を甘やかし過保護にすることになったのか。

 世界には、死体が着ていたのでもいいから衣服がほしい人たちがいくらでもいる。草葺の屋根に苫を廻しただけの学校、トイレなどないから子供たちがその辺の草むらでオシッコをする学校、はごく普通だ。机も椅子もない、電気もない、給食などというものは食べたこともない、教科書がない、他の運動具はもちろんボール一つない学校、もいくらでもある。学校の建物そのものがなくて大木の蔭で砂に字を書く学校もある。校舎があっても公共の乗物がないので遠くて通学できない。家では、牛追い、農作業、弟妹の世話、薪運び、水汲み、をしなければならない。男の子は一、二年しか学校が続かない。女の子は初めから教育は必要ないと思われている、土地もたくさんある。

 今ちゃんと機能している校舎を、事件の思い出が忌まわしいからというだけの理由で棄てる。そんな発想は金持ちのばか息子のわがままとそっくりだ。そんなぜいたくを納税者はどうして黙って許すのか。はっきり言おう。教育とは、生と死、善と悪、の双方に毅然として立ち向かうことだ。時にはその苦しみや恐怖と、いかに幼くとも闘わせることだ。現世にはあらゆる願わしいことと願わしくないこととが、可能性として常に残されている。そのどちらにめぐり遇っても、思い上がることなく自分を失うことなく、その運命に耐えぬく力を養うことこそ、教育なのである。
 



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