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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 人に奉仕することは人生の「贅沢」  
コラム名: キィナーインタビュー   
出版物名: あどばいざあ  
出版社名: (財)日本産業協会  
発行日: 1999/09  
※この記事は、著者と(財)日本産業協会の許諾を得て転載したものです。
(財)日本産業協会に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど(財)日本産業協会の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   4年前、財団法人日本船舶振興会(日本財団)の会長を、小説家の曽野綾子氏が引き受けたという報道を耳にし、驚きを覚えた人は少なくないはずだ。曽野氏は会長就任後、事業費の妥当性を厳密にチェックしたり、財団内の運営状況をガラス張りにするなど、さまざまな変革を実現してこられた。「人さまからいただいたお金を活用するからには、無駄や不正があってはならない。その管理を厳密に行うことが、財団としての使命」というのが、同氏の持論である。また、「日本人の特に若者は苦労知らずで不用心、不勉強」といい、若い職員への教育にも余念がない。
 財団の仕事も、個人的に携わっておられるNGOの活動も、そして小説を書くことも、ご自身のなかではすべてつながりがあると納得されている曽野氏に、財団の活動状況や人に奉仕することの意味、さらに日本の高齢社会の展望など、さまざまなテーマについておうかがいした。
聞き手 澁江 秀明
 
これまで勉強したことを財団の運営に生かしたい
澁江 最初に、「日本財団」(財団法人日本船舶振興会)の会長をお引き受けになった経緯についてお話しいただけますか。
曽野 私はもともと当財団の理事をしていましたから、財団の趣旨や活動についてはだいたい知っておりました。ですから、会長を引き受けることに、別段躊躇はしませんでした。財団はモーターボート競走の売り上げの三・三パーセントで成り立っている組織であり、学者や財界人、ましてや官僚が会長になれば、何らかのコネクションがあるのではないかとか、裏で金銭が動いているのではないかと疑われるもとです。特に、私が会長に就任した4年前は、財団に対する悪評がすさまじい時期でしたから、たいていの方は会長職を敬遠されていらっしゃったんです。その点、小説家というのは、「悪評」を一向に気にする必要のない職業ですから(笑)。結局、なり手が誰もいなかったから、「それならば」とお引き受けしたのです。
澁江 会長という職と作家業とを、どのように両立されているのですか。
曽野 今は、だいたい週4日は小説を書き、あとの3日は財団の仕事という配分で行っています、財団の職員も皆承知しているでしょうね。ただし、私も財団と契約を結び、会長職を引き受けたからには、週3日は財団の仕事に全力投球する心づもりでいます。私は、契約の思想というのがけっこう好きなんです。約束したからには、最大限の努力をするのが使命だと思います。
澁江 会長をされて、何か新しい発見はありましたか。
曽野 会長就任当時は予測しなかったことですが、しばらくして、ここは小説家にとってテーマの宝庫だということがわかりました。私の作品には「死」をテーマにしたものが多いのですが、小説を書くために、いろいろな勉強をしてきました。例えば、『人間の罠』という新聞小説を書くためにハンセン病(瘰病)について勉強したことがありましたが、その知識が当財団の「ハンセン病制圧事業」とつながりました。また、会長就任時に新聞記者が来て、「船のことなんて知らないのではないですか」と聞かれたことがありましたが、私は実は船舶についてもかなり勉強したことがあるんです。小説を書くためにいろいろ勉強したことが、財団の仕事をしていくうえでずいぶん役立っていると感じております。自分の勉強してきたことと財団での仕事が、偶然とはいえ、このようにつながりをもつことになるとは予想だにしませんでした。最近では、財団の仕事をとおして、私の小説家としてのテーマの分野もより広がっていっているという実感がありますね。
 それと、私は27年間、「海外邦人宣教者活動援助後援会」というNGOの活動にも携わってきました。これは、途上国などで土地の人たちのために働いている日本人の宣教者たちの活動を支援する団体です。この活動をとおして、私は108カ国を実際に訪れ、途上国の社会構造や村の人の意識、生活状況などの知識と情報を得たり、また、現地で寄附による援助金が適正に使われているかどうかのチェックを行ったりしてきました。こうした経験も、財団の海外協力援助事業につなげることができました。
 
トップとボトム両方の人脈を組み合わせて
澁江 曽野さんのご経験や勉強されてきたことが財団の運営にも生かされているということですが、そのほかに、財団における、ご自身ならではの役割をどのように捉えていらっしゃいますか。
曽野 当財団理事長の笹川陽平さんは、各国の大統領や国王など、トップの方との人脈が豊富で、このことは実際に私たちの事業を進めていくうえで大変有効に生かされています。それというのも、組織力や教育力に欠ける途上国ではトップダウンの形式をとらないと、現場では何も動かすことができないんですね。一方、私は現場、つまり社会のボトムラインにいる人たちとの人脈があります。恐らく、当財団で現場を一番よく知っているのは私だと思いますよ。海外で支援を行う際には、トップの人脈とともにボトムの人脈も大切だと思うのです。両方のバランスで、実情に適した質のよい援助ができるのではないでしょうか。
澁江 ボトムを知っていることは、具体的にどのような面に生かされるのですか。
曽野 例えば、ある国のトップから援助の申し出があったとしますね、そのとき要求された金額が、日本人の貨幣価値からするとたいした額ではないので、つい安易に合意してしまうことがよくあるのです。日本人にとっての1ドルはたった120円ですが、ある途上国に行けば1ドルで6人〜10人家族が一日生活できます。そういうことを知らないでいると、実は法外な金額を要求されているということに気づかずに、盲目的に支払ってしまうという事態が起こります。しかし、そのようなことがあってはなりません。私たちは競艇ファンの方たちからいただいたお金で仕事をしています。人さまのお金ですから、正当性のある使われ方がなされなくてはなりません。それを運用する私どもには、まず知識がいります。
澁江 日本人には「ケチケチせずに払えば」といった感覚で捉える人も多いですね。出し惜しみをしているようにも思われますし…。
曽野 ええ、そこがダメなんです。私も、このままでは日本人は世界で生き残れないくらい甘い人間になるという気がして、省庁の若手官僚とマスコミの人たちを、最貧国へ研修旅行に招待する事業も始めました。今年で3年目になります。費用はすべて当財団でもちますが、寝袋持参、現地はトイレもなし、そのうえ、エボラ出血熱やマラリア、下痢症などのあらゆる病気付き。そういうところで、大統領や村長から、神父、修道女、看護婦に至るまで肩書の如何を問わず、誰でも人はだまそうとするし、盗もうとするものだ、それが現実社会だということを身をもって学び、サバイバル人間になって帰ってくるという趣旨です。これがけっこう好評で、参加希望者も多いんですよ。
澁江 すごいですね。
曽野 つまり、それぐらいの世界常識をもち、研ぎ澄まされた感覚を備えていないと、海外で正当な援助はできないということです。そして、援助したあと、必ず現地に行って、援助金が適正に使われているかどうかを厳正にチェックすることが大切です。支援先がたとえ国連であっても、私たちは審査をさせて頂きたい。そして、審査を拒否するような団体に対しては、即刻支援をストップします。
 
広報物はCMから広告まですべてを自らチェック
澁江 会長に就任されてから、財団の運営や事務処理などで、改善されたことや変革されたことはありますか。
曽野 最初に手をつけたのは、広報です。従来の財団の広報のあり方はあまりにも常識的で大まかだったんです。まず関係者に配布していた広報誌を廃刊させました。一部の人しか読んでいない広報誌に、2億数千万円もの費用をかけていたのです。今、日本財団の広報に関することは、私がすべて目を通しています。テレビCMも「このシーンを何秒切って、別のシーンを何秒延ばす」といった細かい指示も出しています。
 なぜ、このように綿密にチェックをするかというと、財団は、本来は広報にお金をかけてはいけないんですね。しかし、現実には公的なお金を数百億円いただいて運営しているわけです。ですから、その収支については厳密に報告をしなければなりません。それと、当財団の事業や運営に関して、何らかの失敗や不正が起きる可能性が生じたとき、そのことをいち早く通報する義務もあります。過去に実際にあったことですが、年度途中に、実害はなかったのですが使い込みが発覚したことがありました。不正がわかったときは、一刻も早く事実を押さえて、事業本来の目的が達せられるように軌道修正することが私どもの任務です。このようなとき、私は必ずマスコミに中間報告をするようにしています。隠しごとは何もありません。失敗はなお公表しなくてはいけない(笑)。ですから、財団内や事業について情報を公開する手段として、仕方なく広報は必要なのではないかと考えているんです。
 それに、広報の仕事は、私の分野ですからね。以前に、新聞記者会見で行った報告に足りない部分がありました。その頃、ここの職員はみなさんのんびり屋さんでしたから、修正がそんなに急ぐとは思わないんです。そのとき私は、「みなさん、すみませんが、今、晩御飯を食べないでください。8時半までに、今日来られた新聞社の方に、<申し訳ありません、データは次のようなものです。>と連絡してください」と指示しました。午後8時半というのは、明日の朝刊の印刷に間に合うギリギリの時間です。普通はそんな考え方をしないでしょう。
澁江 厳しいですね。その厳しさは誰に対する責任から出てくるのでしょうか。
曽野 直接的には競艇ファンです。お金を出して下さったご本人ですから。お金を人さまからいただくということは、たとえそれが10円、1円であっても、責任が発生するものだと私は思っております。お金をくださった本人に対してだけでなく、そのお金が充てられた事業にかかわった方たちなどに対しても、私たちは責任を果たしていかなければならないのではないでしょうか。
 
財団の固有名詞よりも日本を認めてもらいたい
澁江 海外協力援助事業のほかに、どのような事業を展開されていますか。
曽野 私どもは、大きな4つの柱を据えて事業展開をしております。ひとつは、先程からお話ししている海外協力援助事業、ほかに、地域コミュニティに基盤をおいているようなボランティアを支援する事業、高齢者・障害者福祉からスポーツ、文化、教育などの分野に対して行っている公益・福祉事業、そして、海洋船舶にかかわる研究開発や航海安全のための協力活動を行う海洋船舶関係事業があります。例えば、海洋船舶関係事業では、航海上の難所とされているマラッカ・シンガポール海峡の保全や、船舶が過密状態にあるこの航路に代わるものとして、極東とヨーロッパを結ぶ最短行路となる北極海行路の開発などを行っています。

澁江 そのマラッカ・シンガポール海峡の保全とは具体的にどのようなことを行うのですか。

曽野 この海峡はシンガポール、マレーシア、インドネシアの3国に囲まれた海峡で、太平洋とインド洋を結ぶ重要な海上交通路となっています。ただし、総延長約1000キロの細長い水路で、潮流の変化が激しいうえ、多くの岩礁や浅瀬が点在している難所です。しかも、日本のタンカーなどを含め、世界中の船舶がこの海峡を通行するため、常に渋滞の状況にあります。万一ここで事故が発生し、迂回航路を通ることになると、航海日数が増え、金額にして3000万円ぐらいの損失になるといわれています。当財団では、この海峡の安全を守るため、約30年間、水路測量を行ったり、多数の航路標識を設置してきました。
 しかし、現地に行っても、誰もこのような事業を日本財団がやっているなどとは知りません。それで、シンガポールの目抜き通りを走るバスのお腹に広告を出したんです。これで「日本がやっているらしい」、ということだけがわかりますからね。私はそれこそ本望だと思うのです。「日本財団」という固有名詞はどうでもいい、「日本」が何かいいことをやっているということが世界で認められることに価値があるんです。
澁江 その精神は、財団の職員の方たちにも受け継がれているのでしょうか。
曽野 ええ、皆わかっていますよ。それから、海外協力支援事業の一環として、私どもはハンセン病制圧事業を行っております。この事業は近年開発された、多剤併用療法によって世界の患者数が激減し、ここ1、2年のうちにハンセン病の終息宣言が出されるだろうというところにまで到達しました。私どもでは、治療用の医薬品を供給する支援を、各国政府やNGOと協力して行っています。財団で行っているのは資金援助で、医薬品のパッケージの裏面に日本財団のマークも小さく入っていますけれども、ただ薬があるというだけでは、ハンセン病の方たちを助けることはできません。
 交通の便がきわめて悪い中国の雲南省の奥地やビルマの山奥などにいるハンセン病患者の人たちのもとへ、いくつもの山を越え、長い道のりを歩いて届けてくださる方たちに対して、私たちは最大の感謝と尊敬を示すべきだろうと思います。このような方たちに支えられて、私たちの事業も成り立っているということです。したがって、先程お話ししましたように、当財団としては、お金を出してくださった競艇ファンの方と同時に、事業に協力してくださるあらゆる方たちに対して責任を負わなくてはならないと肝に銘じていますね。
 
ゆとりのある老後は人のために働く賛沢を
澁江 日本財団では、高齢者福祉事業などにも力を入れていらっしゃいますが、曽野さんご自身は、これからの日本の高齢社会についてどのような印象をおもちですか。
曽野 私は高齢者にせよ、若者にせよ、理想社会を与えることはもともと不可能だと思っています。日本は国民にかなわぬ夢を与えすぎたのではないでしょうか。これからの高齢社会ということに限定していえば、年をとったら国家が面倒をみてくれるなどという考えはもたないほうがいいと思います。今後、高齢者が急増していくなかで、お年寄りの面倒をみるのは、やはり子どもが主体であり、それを社会が助けていくという体制をつくることが現実的でしょう。さらにいえば、少子化が進み若者の人口は減る一方ですから、人口比率からみても、国内だけで介護の労働力を調達するのは不可能です。そのために、職を求めているアジア諸国などの人たちを、労働人口として輸入するような対策をとることを一刻も早く考えなければいけません。
澁江 高齢者自身の課題は何だと思われますか。
曽野 長寿社会を迎え、長い老後をいかに過ごしていくかが国民的課題のようにいわれていますが、私は高齢者はもっと働いたほうがいいと思っています。父親が家族を養い、母親は子どもの面倒に追われ、経済的にも時間的にも余裕のなかった方たちが、子どもが自立したあと、自分の生活もある程度満たされ、いろいろな意味でゆとりが出てくるようになりますね。そのとき、欲得を離れて人のために奉仕する時間をもつということが大切だと思います。今の日本では、高齢者の権利を守れとか、手厚く保護せよという主張ばかりで、何か高齢者の不幸感のようなものすら感じます。人間は要求する一方だと、それが満たされないために飢渇感がわき、ますます不幸になっていきます。聖書にある言葉ですが、「受けるより与えるほうが幸いである」という真実を知ってほしいですね。しかも、人のために働くなどという賛沢ができるのは、ゆとりが出てくる老後ぐらいしかないのですから。その貴重な時間をぜひ、「上等な道楽」に充てていただきたいと思います。
 
消費者も自立の時代書物と経験で勉強せよ
澁江 消費生活アドバイザーという立場からお話しさせていただくと、これまで、消費者は規則や習慣にとらわれて、自主的な判断力に基づいた消費行動をしてこなかったという反省があります。最近では、私たちアドバイザーも、消費者に自分の目で確かめ、自己責任のもとに行動してほしいということで、消費者の自立を後押ししています。今日、曽野さんもお話のなかで、何度となくご指摘されていましたが、私たち日本人は、今まで甘すぎたのでしょうか。
曽野 ええ、そう思いますね。大学卒業後、お金を稼ぐために仕事をして、仕事の帰り道は大酒飲んで夜更かしをし、普段の食事はコンビニエンスストアで買ったお惣菜ですませる。家にいるときは本を読むでもなく、テレビにかじりついたままか目にするのはマンガの本。そのような生活を散々続けていて、健康で豊かな老後が待っているはずないではありませんか。それなのに、年をとって身体を悪くし、不幸な老後になってしまったなどとため息ついたりしているのは、甘いと思いますよ。本人の不勉強が招いた結果なのですから。私はきちんと料理したものを何十年も食べ続けてきたから、今の健康があると実感しています。
 それと、小説を書くためには、本を読んだり、調べ物をしたり、実地に経験してみたりと、勉強をしなくてはならないため、この勉強嫌いの私が必要に迫られて勉強し続ける人生を歩んできました。勉強してみると、やはり人間には勉強が必要だということがよくわかります。消費者の自立も同じことだと思いますが、勉強し、経験し、自分の見地を広げていかないと、適正な判断力などは身につきません。日本人はもっと自分の生活や興味の幅を広げ、いろいろなことにチャレンジし、勉強していかなければならないでしょう。
 



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