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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 災害援助?世界的レベルで考えれば…  
コラム名: 自分の顔相手の顔 111  
出版物名: 大阪新聞  
出版社名: 大阪新聞社  
発行日: 1998/01/19  
※この記事は、著者と大阪新聞社の許諾を得て転載したものです。
大阪新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど大阪新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   阪神淡路大震災から三年が経つ、というので、あちこちにその後の報告が出ている。
 家族を失った方にとっては、三年が過ぎてもその傷は癒えようがない。新築の家が焼けたり半壊して使えなくなった方は、家のローンの分だけの大きなお金をなくしたことになる。悪いこともしていないのにどうしてこういう不運に会うのか、と思うのも当然だ。
 しかし私が幼い時に体験した大東亜戦争の空襲の恐怖も、終戦前後の数年に味わった国家的貧しさも、また別の恐怖であり、出口の見えない困難であった。私はまだ子供で、空襲の恐怖と食料の欠乏しか体験しないで済んだが、その頃夫や息子を戦争で失い、家を焼かれた人には、国家の生活保護もなく、仮設住宅を建ててもらうこともなかった。人は人生のいずれかの時期に、必ずこうした苦難に会うものなのだろうと、私は思った。
 今、被災者の側に立ってものを言えば、それは誰からも受けいれられる。しかしそういう姿勢しか取らないマスコミの思考の形には甘さを感じて時々違和感を覚える。
 確かに被災者にとって、対策に文句がないわけはない。今まで馴れていた生活の総てを奪われたのだから、それをカバーすることなど誰にもできるわけがないのである。
 地震の後、被災者の中には、三日間、パンばかり食べさせられたことに文句を言った人がいた。もうあきあきした。こんなぱさぱさしたもの、喉を通りやしない、と思って不思議はないのだ。しかし災害の時、何一つ調理せずにすぐに口にできる清潔な食料を配布できる、ということは、信じられないほどの国力なのである。飢餓の年のエチオピアでは、飢えて体力のなくなった人々が坐りこんだまま、自分の周囲の草を千切って食べていた。飢餓は必ず旱魃の結果でもあるから、周囲に燃料になる木がないことと抱合せでやって来る。そんな時に調理の必要な豆やイモなどを配ってもらっても、人々は生で齧(かじ)るしかないのである。その点パンは理想的だ。
 国連難民高等弁務官事務所がやっている難民キャンプを私はアフリカの各地でどれだけ見たかしれないが、それは自分の家に付属したトイレも台所も風呂場もない小屋である。壁さえも完全でなくて、ビニールで一部カーテンをつけただけのところもある。面積は大人一人分が畳一枚、子供はその半分の計算である。彼らにすれば、パンだけの給食も、暑くて寒い仮設住宅も、この世の夢だろう。
 仮設から復興公営住宅に移り住む人が増えると住人はまばらになる。県は高齢者が淋しくなく集まって住めるよう仮設間の引っ越しを考えているが、それも心理的・肉体的に負担になるという。幸い、引っ越しを手伝うボランティアもあり、それを支える組織もできている。助け合うことはいつでも大切だ。日本人は戦後いろいろなことに耐えられなくなったが、現実の生活を世界的なレベルで評価することが一番できなくなっている。
 



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