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このごろ、時々呆気にとられるような話を聞く。 先日、私が働いている日本財団が研究費を出しているメガフロートという人工の巨大な浮体の実験場にマスコミを招待した。これは今のところ一枚が二十メートル×百メートルという巨大な鋼鉄の板を繋げて行くことで、海に浮かんだ広大な多目的空間ができる。私は「お化け畳」と呼んでいる。 たとえば、阪神・淡路大震災の後のような時に、波高の大きくない湾内に敷設すれば、ヘリポート、小型機の滑走路、救援隊の宿舎、倉庫、仕切り場、臨時の汚物焼却場、大量の飲料水貯水槽などになり、余震、津波の影響なしに使うことができる。そして用途目的を果たしたら、またすぐ撤去することができるので、環境破壊がなくていいのである。この工法は、杭打ちをしなくて済むので、浮体の下の海水が潮流を殺さないから実験場の下にも魚が集まった。 見学会の時、会社の人と今までに二万人に及ぶ見学者の話が出た。或る夏、若い学生から、鋼鉄の板の上を歩くのだと、熱くなっていて、靴は大丈夫なのだろうか、という問い合わせがあった。昔なら、これは「女の質問」であった。それを今は男がするのである。 この地球上には、確かに凄まじい暑さというものがある。私が体験した限りだが、暑さに苦しんだ土地は四カ所である。トルコのメルシン、モロッコのウーザザート、チュニジアのネフタ、サウジアラビアのペルシャ湾沿岸地帯である。 トルコ南岸のメルシンには、アフリカのサハラからの熱風が吹いて来る。チュニジアのネフタは夜になると、効かない冷房機の音だけが喧しく、窓を開けても閉めても同じ暑さだった。モロッコのウーザザートではこういう土地が外人部隊の駐屯地なのだろうな、と実感したが、いずれも暑さの元はサハラ砂漠である。 湾岸は私がたった一度だけ病気になり、帰国の日を早めた所である。暑さは四十度をちょっと越えている程度で大したことはなかったと記憶するが、湿度が九十パーセントにもなると発汗によって体温を調節することができない。乾いていさえすれば、イスラエルの死海のほとりでは六十二度、シリアのダマスカスでは多分それ以上。インドのアグラでは四十二度の気温の中で、冷房なしでも暮していた。乾いて暑い土地では、オーバーなど着れば、衣服の中は体温に近くなるから耐えられるのである。 それらの土地に行く場合、いつも思ったのは、「なあに、その土地に住んでいる人がいるんだから、私だって大丈夫」ということだった。暑い土地で冷房なしに暮らすと、思考能力はなくなる。しかし生きることには差し支えない。却って私のように、冷房と外気温との差が大きいホテルにいると自律神経失調症になり、脈が結滞して呼吸が苦しくなったりする。自然に抵抗せずにいたら、思考はだめでも体は健全に対応するのだ。 このごろの若い人たちは、人工浮体の上でも作業した人がいたのだから、大丈夫、とは考えないのである。空調文化に馴れると、それが効かない空間すべてに恐怖を抱くようになる。つまり今はやりの言葉で言えば、自然の中に放り込まれると、彼らは「切れて」しまうのである。空調文化を支えているのは、電気だから、彼らは電気のない所には生存できない動物なのだ。 それでいてこういう若者の中には往々にして、桁外れの自然愛好、熱烈な環境保護主義、ダム建設反対、原子力発電反対の心情に溢れた人がいる。それなら、何によって彼らの死命を制する電力を得るかということには答えを出さない。彼らの中の論理そのものも「切れて」いるのである。しかしこういう人たちの多くが、学校秀才である。
大ダンス・パーティを開くべき メガフロートの上は、涼風の吹く気持ちいい空間だった。浮体の下に魚が集まったので、素人釣り師たちが一万人の署名を集めて、この浮体の上で釣りをさせろ、と言って来たのだが、漁師さんたちは自分たちが東京湾に稚魚を放しているのだから、漁業権があると言ってオーケーを出さないのだそうだ。 私は立場上、真摯なことだけ言うべきなのに、ボートで浮体に上がったとたん、ここでは大ダンス・パーティを開くべきだ、と思った。ビヤホールもいい。当日集まってくれた新聞記者の中にも、「ゴルフの練習場がいいですよ」と囁いてくれた人もいる。すべての存在は、災害救助からリクリエーションまで、頭を柔軟に広範な使用目的を考えたらいいのである。それがすべての民需、平和的利用の根本精神だ。
親しい電気屋さんが来て、風呂場の換気扇のことで相談があるのだという。何のことかと思ったら、どんな機能がついたスイッチがいいのか、という。スイッチを押せば換気扇が動き、切れば止まるのがいい、と言うのは返事になっていないらしい。 お客さんから時々文句が出るのは、換気扇が電灯と連動になっていないから、風呂へ入る時にも換気扇を廻さない人がいて、風呂場が湯気で濠々としてしまう。換気扇は電気をつければつくものと思っていたのに、それができないようじゃだめじゃないの、というお叱りである。 別の客は言う。電灯を消したら、換気扇も止まってしまって平気で寝てしまう家族がいるから、朝までに浴室が乾いていない。時間を設定しておけば電気を消しても換気扇は動くようなのでないと困る。そういうお客さんもいたので、お宅はどんなのがいいですか、と聞いて来たのである。 換気扇くらい、どうして手動で調節しないのだ。冬は寒いから湯気は承知で換気扇を使いたくない時もあろう。外に面した窓を少し開けておける構造の風呂場なら、春少し暖かくなれば、換気扇はやめて自然の換気に待つ方が心理的にも自然だし電気の節約にもなる。 家族が合理的に換気扇を使いこなせないのなら、改めて教育をしたらどうなのだろう。それでもだめなら、昔の母たちみたいに、最後に寝る時に、家中の点検をしたらいいのである。昔なら広くて寒い家の点検をすることは嫌な仕事だったかもしれない。しかし今は、皆、断熱材の入ったアルミサッシつきの狭い家に住んでいるのだから、大して寒くもなく、トイレのついでに換気扇の具合だって調節できるだろう。 日本人はいったい、いつから何様のような生活態度になったのだろう。人が生きていられる土地なら、我々も何とか生きていられるだろう、という考え方がないと、世界は恐怖にみちたものになる。こういうぜいたくでわがままな人たちを作った親も教師も、今改めて自分たちの教育に慄然とすべきだろう。
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