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「非常にうまく〜」は信じない 理屈通らないお金には文句 わたしは組織のことを知らないまま日本財団の会長になったものですから、企業の人間関係といったものの翻訳が全然不可能なんです。よその会社にでもいたら「前はこうでした」。とか言えるのでしょうが、全然知らないから(企業の不祥事に関する)質問になんか何も言えない。 けれど、(不祥事を起こす企業は)どこかその会社の中に淀んだ空気があるんでしょうね。わたしは、そういう気がします。そして、必ずその前に予兆というものがあって、その部分の詰めが各部で甘くなっているんだと思います。 詰めが甘いところがあれば、そこから詰めていけばいいんです。大きくならないうちに、事前にね。虫歯の治療と同じですよ。 日本財団の人は本当にきちんとしていますが、この間もわたしは土曜日曜に会社に来るのを禁じるように言ったんです。帳簿の改ざんをするのはその時ですからね。原則として会社に来ちゃいけない、眼鏡を会社に忘れたら、五分以内に取って戻ってくる。そういうルールを今のうちから、まだお笑いで済むうちから作っていこうと言っているんです。 一般論ですが、「この計画は非常にうまくいきました」というのはウソです。必ず問題があるはずなんです。どこかがうまく行っていないという報告なら、わたしは信じる。でも「非常にうまくいっております」というのは、そうかな、そんな話あるわけない、と反射的に考えますね。山本七平さんの言った「ユダヤ人の論理」と同じです。皆が賛成することは危ういということと同じです。 たとえば、株主総会というのも一種の「儀式」ですね。でも、日本財団ではあまりそういう儀式の部分というのはないんです。膨大な量の説明を株主総会にあたる理事会で長々とするんです。わたしは「もうちょっとおもしろく、短くやったら」と言っているんですが(笑い)。 わたしは自分の働いているところが経済的にどういう規模かということが、まだよくわかっていないのですが、お金(の流れ)というものは何人もが見ているはずなんです。ウチの場合だったら、お金の収支を何人もが見ています。なぜ(企業が)理屈の通らないお金を許すのか、わたしにはわからない。 理屈の通らないお金をわたしが見つける確率は非常に低いとは思いますが、それでもわりと細かく見ています。たとえば、シンポジウムを開くとしますね。何にいくら出るのかというのを見ます。同時通訳代が一日いくらか、講師にいくら払うか、全部見るんですよ、性格がケチですから。 それでわかったのは、講演会を開くときに、費用を頭数で割ることを誰一人していなかったということ。それで、推定入場人数で費用を割ったら地方の結婚式くらいかかっているのがあったから、ちょっと文句を言ったんです。そういう計算を財団の人たちは全然していない。わたしの方がしているんですよ。
PR誌つぶして浮いたお金で57誌分の広告確保 私が財団に入って最初にやろうとしたことは、外と内の濠を埋めるということでした。財団はハンセン病の撲滅や中国の医者への教育、マラッカ海峡の保全やチェルノブイリで被ばくした子供たちの追跡調査など、いいことをたくさんやってきている。それを世間にわかっていただけるようにしたいと思った。 その目的のために、わたしは広報をいじったんです。まず、一万六千部刷って出していたPR誌を、財団に入った翌月につぶしました。きれいで、わりとお金がかかっているPR誌でしたが、誰に配っているんですかと聞いたら、オピニオンリーダーとか関係者とか、と言うんです。 オピニオンリーダーのところになんか一日に五冊も十冊も、そういう雑誌が届くでしょう。彼らは読まないでしょうから止めましょう、と止めたんです。それによって浮いた数億円で、わたしは雑誌の月一回の三分の一ページの広告を五十七誌買いました。そして「日本財団は何者だ」というシリ一ズを作ったんです。 そのときのわたしのイメージにあったのは、おそば屋さんで一人でご飯を食べているオジサンが読むクタクタの雑誌。そういう雑誌にも日本財団のPRが出ているようにしたいと考えたんです。そうしてPRを変えていきました。 PRについては、わりと口を出します。毎月でるPRは、どんなに小さいものでも全部見ています。だから、わたしは広告部の部長みたいなものです。でも、そういうふうにして濠を埋めて、みなさんが城壁のところまで歩いてこれるようにしたんです。 (談)
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