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目下のロシアには、あまりおもしろいお土産ものもないと聞いていたが、カムチャッカで私は一つだけマトリュウシカと呼ばれる人形を買った。木製のだるまさん型の入れ込みになっている人形で、普通はかわいい少女である。しかし私の買ったのは、かわいいどころか、憎々しいおじさんばかりのマトリュウシカだ。 一番外側がエリツイン、その中にゴルバチョフ、ゴルバチョフの中にブレジネフ、フルシチョフ、スターリン、レーニンと続いて、最後に小さな小さなラスプーチンが入っている。この系譜は一つの皮肉を表している。 ロシア人と話していておもしろいのは、誰もがエリツィンの悪口を言うのだが、だからと言って深刻ではないことだ。国民には今でも皆に封建領主の元に生きた農民の血が流れているらしく、時のご領主さまがどんなに横暴な人でもさして驚かない。国家的ご領主さまが、レーニン、スターリン、フルシチョフ、ブレジネフ、ゴルバチョフ、エリツィンと続いただけのことなのである。そもそも、ご領主さまが慈悲深くて禁欲的でいい人だったなどという話は此の世にないのである。 もちろん社会主義時代を礼讃する声も多い。 「あの頃は、貧しい人でも教育してもらえました。今ならとてもできません。将来に不安がないから貯金などしなくて平気でした。休みもうんともらって、ただであちこちへ旅行しました。物価は何十年と変わりませんでした」と聞くといいことずくめの時代だと思えて来るから、私などすぐに、「じゃ、社会主義に戻った方がいいですね」などと聞く。社会主義は、依頼心の強い怠け者を作るなどということはお互いに全く忘れているのである。 相手は私の愚かな質問に一瞬困ったような顔をし、それから「しかしもう社会主義には決して戻りません。それは確実です」とだけ答える。それはそうだろう。一人のご領主さまが死ねば、次の人が後を継ぐ。前の人と全く同じことをするということはあるわけがないのだから。 レーニンの像は、サハリンのユジノサハリンスクの大きな広場にも立っていた。スターリンの像は一夜のうちに首を吊って下ろしたのだそうだが、レーニンのは大き過ぎたのか、そのままになっている。 「レーニンの像はそのまま残しておいていいの?」と若い車の運転手さんに聞くと、「どうせレーニンを下ろしても、またすぐ誰か別の人が自分の銅像を建てるでしょう。それくらいなら、もうなじみになっているレーニンの方がいい」というのが彼の意見であった。 日本人は最善のことを常に要求することを当然としている。しかしロシア人は、最悪よりややましなこと、下から二番目くらいに悪いことで納得している。どちらが賢いとか大人だとか言う気はないけれど、日本人とロシア人とはかくも違うことだけはキモに銘じるべきだろう。
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