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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 高齢者の役目  
コラム名: 昼寝するお化け 第144回  
出版物名: 週刊ポスト  
出版社名: 小学館  
発行日: 1997/12/05  
※この記事は、著者と小学館の許諾を得て転載したものです。
小学館に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど小学館の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   先日、或る新聞に一通の投書が載った
 昔から死に装束というものがあって、或る年齢に来たら、女たちはたしなみとして自分がお棺に入る時の服装を用意しておかねばならない。
 その前に寝ついた時の病衣がいる。この方は優しい性格で、九十歳に近いお姑さんの寝巻をいろいろと工夫している。年を取ると小さくなるから、市販の寝巻は大きすぎる。それで手製の、体に合った寝巻を作ってあげると、お姑さんはほんとうにかわいく見える。
 それから、いわゆる死に装束について私など全く知らない知識が書いてあった。赤い鼻緒のジョジョというのは、どういうはきものかよくわからないが、死出の旅路は長いので手甲脚半も要るらしい。スニーカーとゴルフ手袋ではいけないのかしら、などという不届きな考え方をする世代も出て来そうだが、これらはすべて玉を作らない糸で縫う。返し針、留め針もいけないのだそうである。
 ほんとうのことを言うと、私は死に装束など何を着せてもらったらいいのか全くわからない。よく一番好きな着物を着せて上げた、というような話も聞くが、そんないい着物なら焼いてしまわずに、嫁や姪にやった方がいいのに、と思う。外国にはエムバーミングと呼ばれる死後の処置があって、死後硬直もなく、生けるが如き柔らかな生前の温容も保てる、という。できればそれが死後のおしゃれとしては最高だと思うが、お金もけっこうかかるらしいし、それはやはり偉い人だけでいいだろう。よく似合うブラウスとセーター、或いは直前まで着ていたスーツくらいが、一番お見苦しくなくていいような気がする。
 この投書の主はもちろん女性で、六十歳といえばまだ「法定老人」にも達していない年齢だが、驚いたのは「出歩いたことのない私は、東京まで一人で行けない」と書いているのである。この方の住むK市は、東京へ通勤している人がいくらでもいる町である。なぜ東京に行きたかったのに行けなかったことを少し悔んでいるかと言うと、「死に装束展」というのを東京でやっていたので、それが見たかった、というのである。
 私もどちらかというと、意識がいつも死に向いている方だが、それでも六十で早くも病衣と死に装束のことばかり考えたりしてはいない。毎日毎日やるべき雑事があるからということもあるが、これから高齢者の多い世の中になったら、老人たちももっと積極的に働かねばならない、と考えているからである。
 もう十年くらい前になるかも知れないが、日本財団(当時はまだ日本船舶振興会という名前で通っていた)がゲートボール場を全国で百ケ所目標に作る、と聞いた時、「どうしてそんなにゲートボール場ばかり作るんですか。ゲートポールができるくらいの体力があるんなら、なぜもう少し働こうとしないんですか」と言った記憶がある。私は決して遊ぶことを非難したつもりはないのだが、六十歳くらいで引退したら、もう何らかの意味で生産には従事しないで遊んでいていいのだ、という風潮に少し反発を感じ、むしろ高齢者が働ける場所やシステムを作ることを考えたらどうか、という意味も含まれていた。
 もっとも私はすぐ意見を変える癖もあって、ゲートポールの盛んな土地は医療費や国民健康保険が安くて済んでいる、と聞くと、とたんにゲートボールはやった方がいい、という気にもなったのである。

 「年をとっても働く」認識が必要
 しかし現実の問題として、六十五歳になったらもう自分のことだけして暮せばいい、という時代は過ぎ去ったような気がする。年寄りの中でも、少しでも若かったりまだ体のきく人が、動けなくなった人のケアをする、という気持が大切だろう。先の投書の女性も姑をみとる、という大きな仕事をしているわけだが、ただ私は、一時間もかかるかかからないかの東京まで一人で来られないという女性がまだいたことに驚いただけである。
 先日地方で、八十九歳でまだ大工さんをしている人に会った。毎日オートパイでその地域のセンターのような所に通い、介護用品なども注文で作っている。低い平行棒のような歩行訓練の装置も彼が作ったものだ。浴槽の高さと同じベンチを作れば、運動機能の不自由になった人でも、そこから比較的楽に浴槽の中に滑り下りることができる。この方は少し耳が遠いだけで、自分でもまだまだ働く、と意気軒昂である。
 私は昨年足の骨折をして、健康保険をうんと使ってしまった。それまでは払い込んだだけ使わない年が多かったような気がするが、それが私のせめてもの誇りだった。今年からまたお医者にかかるのを極力やめて、国家にできるだけお世話にならない生活をするつもりだ。
 体の悪い高齢者を働かすのは気の毒だが、体の健康な老年に働いてもらうのは少しも悪くない。年を取ったら、遊びの旅行をしたり、のんびり友達とつき合ったりするのが当然で、働けなどというのはもってのほかだと考える人にも認識を改めてもらわねばならない。状況の変るのが人生というものだろう。今はそう考えねばならない社会情勢に変って来たのだ。青年だろうが老年だろうが、社会の変化の波を受け、それに対応しなければならない、という基本原則に変りはない。
 人間は、その人の体力に合う範囲で、働くことと遊ぶことと学ぶことを、バランスよく、死ぬまで続けるべきなので、もうアメリカ式の引退したら遊んで暮す、という発想は時代遅れだと思う。そして当然のことだが、できればただ自分が生きるため以上の働き、つまり人の分も生産する働き、をした方がいいと思う。
 かつて私は何度も、アフリカの貧しい国の田舎などで、のどかな夕餉の光景を見たものであった。夕陽が少し傾く頃になると、家の前に持ち出した臼と杵で、子供たちがその日に炊く米を搗くのである。
「ソノさん、あれであの人たちはなかなかおいしいものを食べているんですよ。日本人だって搗きたての米を食べている人はそんなに多くないでしょう。
まあ、日本人みたいに、上等のおかずはありませんけどね」
 彼らは他人の使う分まで生産しない。自分たち一家の食べる分だけ作っている人が多い。だから国が豊かにならないのである。
 老人に「年に甘えないで、もっと働いて下さい」と言うと、怒る人だけでなく、喜ぶ人もけっこういそうである。それが老人の健康の度合いを計るパロメーターになりそうだ。
 



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