共通ヘッダを読みとばす

日本財団 図書館

日本財団

Topアーカイブざいだん模様著者別記事数 > ざいだん模様情報
著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 定年?時間に縛られた生活に復讐  
コラム名: 自分の顔相手の顔 382  
出版物名: 大阪新聞  
出版社名: 大阪新聞社  
発行日: 2000/10/31  
※この記事は、著者と大阪新聞社の許諾を得て転載したものです。
大阪新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど大阪新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   定年が、人間の生活を破壊するから、雇用の制度を見直さなければならない、という論議があるのだ、という。
 しかしこれほどおかしな話はないだろう。人間死ぬ日まで体を動かして、自立した暮しを楽しむのは、最高の幸福だと私も思う。そのために、うまく行くかどうかわからない秘策を、私なりに練ってもいるつもりである。
 しかしいつか定年が来るということはわかっていることなのだ。若い時、散々会社の厳しい仕事に組み込まれて、夜遅く疲れ切って我が家に帰る時、サラリーマンたちは「ああ、もうこんな生活は嫌だ。自分で自分の時間の使い方を決めたい」と思ったことがあるに相違ない。その夢にまで見た日が定年という形でやって来るのだ。
 人間は突然違った状態に追い込まれると、呆然として何をしたらいいかわからなくなる。私も構造の悪い古い家に住んでいた頃、洩れていたプロパンガスに火がついて三メートも火柱が立った時、一瞬、何をしていいか全くわからなくなった。すぐ手を伸ばせば届く所に洗濯機があり、その中にどっぷり濡れたバスタオルがあるのに、それを投げることさえ考えつかなかったのである。
 しかし定年は突発的にやって来るものではない。地震とか、今まで聞いたこともなかった毒物を撒かれたとか、隕石が落ちた、とかいうようなことではない。死と定年は必ずやって来るものだ。だからそれで生活が破壊されると思うのは、つまり当人の準備が悪いのである。
 私は絵の才能がないので、羨ましいと思って雑誌の特集を眺めていただけなのだが、石に顔を描くことを趣味にしている人の話を読んだことがある。小石はその辺で拾って来るのだ。石の自然の形で、描く人の顔も表情も違ってくる。絵の具代など大したことはなかろう。恰好の違った石を捜して歩く、ということがまた無限の楽しみになる。
 定年以後まで、会社に自分の働く仕事を設定してもらおうなんて、逆に惨めな限りだろう。人生の最後に、せめて人間は自分自身の時間の使い方の主人になるのが自然だ。
 私の知人は、定年後、いろいろなことをして遊んでいるが、時間を決めてどこかへ行かねばならない、ということだけはしないのだという。音楽会もごめん。パーティーもまあご遠慮しておこう。その代わりいつ行っても自由に遊べる、ということだけしている。
 そう言われてみるといくらでもある。町をぶらつくこと。展覧会で絵を見ること。垣根の刈り込み。川の源流を探索すること。料理。習字。木彫。陶芸。いずれも今日しなくても明日できる。しかも極めると奥が深い。
 長い年月時間に縛られて暮らして来た生活に存分に「復讐」して死ぬのはなかなか乙なものだ。しかもこの復讐は陰湿ではなく、笑いがあることがすばらしい。定年後も会社にしがみつくような策のないことは、その人の生涯にかけてはずかしいことだろう。
 



日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION
Copyright(C)The Nippon Foundation