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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 霞ヶ関界隈の出来事?家運傾く省庁前の雑草  
コラム名: 時代の風   
出版物名: 毎日新聞  
出版社名: 毎日新聞社出版局  
発行日: 2000/06/11  
※この記事は、著者と毎日新聞社の許諾を得て転載したものです。
毎日新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど毎日新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   この欄でほかの筆者の方々の文章を読んでいると、知的なことを書かねばならないような気持ちにもなるのだが、それは私らしくないことだから、今日は霞が関界隈のご町内の出来事を書いてみたいと思う。
 私が今働いている財団は、霞が関とは交差点一つ隔てた虎ノ門というところにある。しかし職場の前の通りをまっすぐ行けば、100メートも行かずに、文部省、郵政省、大蔵省、通産省、外務省などが並ぶ霞が関の大通りに入る。そこで毎年何が気になるかと言うと、この官庁を結ぶ大通りの中央分離帯が、草ぼうぼうで放置されていることである。
 私は子供の時から、門の前を母からよく掃くように命じられた。道路の管理業務は大田区か東京都のはずだが、昔風の母はそんなことは言わなかったものだ。
 今でも雪の日には、夫と私は張り切って雪かきに出る。自分たちも高齢者であることを忘れて、門の前の歩道をお年寄りが下って来られた時、滑って転んだらご当人と国家と双方の大損害だと思うから、滑らない部分を確保するのである。
 しかし霞が関には、門の前を掃かねばならない、という気風は全くない。あれは門の前ではない。玄関の前には歩道があって、そのさらに向こうの広い道路の中の中央分離帯の清掃は、当省の責任ではない、というのが、東大法学部的発想なのだろうが、綿毛の生えたタンポポみたいなのまで混じった雑草の醜さは、これが個人の家の前なら、「こういう家は家運が傾くのよ」と母が生きていたら言いそうな風景である。
 ことに外務省など、外国のお客さまが多かろうに、前の道が草ぼうぼうで恥ずかしくないのだろうか。文部省も、これでは教育上よくない。子供を教育する省が、自分の省の前の草取り一つしようとしないことになる。
 先日、文部省に出かけた時、私はエライ方に「今度うちの財団からも人を出しますから、文部省からも有志がお出になって、分離帯の草取りをしませんか。昼食を終えて、12時半から15分もやれば、10人の人手で全部片づきます。それから引き揚げて手を洗っても、1時からの執務に遅れることはありません」と言って、「それはいいですね」と快く賛同を得て来たのである。文部省には先年、アフリカのコンゴとチャドの奥地までいっしょに旅をした若い女性もおられたので、その方を中心に有志だけで気楽にやれそうであった。
 ところが、我が財団に帰ってそのことを言うと、秘書課の女性が、私の顔をおかしそうに見ながら言うのである。
「きっとそうはなりませんよ。今ころ文部省は業者に電話してますよ」
 私はこの女性職員の読みの深さに、まず感心した。こういうふうに、人生を瞬時にして裏まで見通せる眼力は、泥棒の多い外国援助の事業をする組織には貴重なものだ。しかし、私は半信半疑だった。
 約束の日の前々日まで、中央分離帯に変化はなかった。しかし約束の日のまさに前日になって、突如として変化が現れた。清掃の手が入ったのである。それも文部省に近いところから、草を刈りはじめた。
 やはり、この女性職員の勘は当たったのである。もちろん、全く偶然に清掃会社が前日に入ったということが、ないとは言えない。しかし、あまりにも見え透いた時期だ、と私はアクイに考えることにしたのである。
 私は清掃ということを、文部省ともども教育的に使いたかったのである。しかし文部省のどこかのポストの人は、それを単なる官庁の管理の問題として処理した。それはそれでいい、と言いたいが、それなら、もう少し前に「汚いから、そろそろ何とかしろ」と、清掃会社に電話をしてもよかったと思う。つまり、文部省は管理を放置していたのだ。
 私の違和感は、霞が関省庁全体に職員は何人いるのか知らないが、そのうちの一人として中央分離帯が草ぼうぼうなことに、気づかず、気にならず、ちょっと掃除してやろう、という勇気も持たないということだった。
 外務省は、外は草だらけだが、塀の中はきれいなのだ、と誰かが教えてくれた。私が仮に外国の大臣で、日本の外務省に来てこの表通りの汚さを見たら「この国の役人は、オフィスにふんぞり返っているだけで、手を汚して人のために働こうという意欲は全くないのだな。うちの国と全く同じだ」と親近感を持ったかもしれない。
 うちの財団ではメールで草取りボランティアを募集したら、やりますという人が定員オーバーした。草取りを志願してもボーナスは上がらないくらいは、皆知っていたはずだが。いや、理由は簡単で、文部省には美男美女が多いから、いっしょに仕事をしたかっただけに違いない、と私は勘繰っている。
 鎌は自分の使い慣れたのがいいから、うちから持って来る、などという人もいて、私のようなに畑仕事に馴れてはいるのだが、当日は草引きのためのハサミ一丁、秘書課の誰かの机の上からこっそりかっぱらって行って、知らん顔で洗って返しておこう、などとたくらんでいた者は、内心恥ずかしかった。
 さて業者は草を刈った。外国の弔問客がたくさんみえた前総理のお葬式に間に合うように、見た目だけはきれいになって、ほんとうによかった。しかし、ひどいことに、見た目がきれいなように刈ったのであって、草の根は抜かなかったらしい。雑草はあっという間に生えた。
 業者にこういういいかげんな仕事をさせるほど、多分国家予算は少ないのである。それなら業者にさせずに、国民に範を垂れるために、各省自分の前の分離帯くらいは、園芸好きだけを集めてきれいにすればいい。
 今度こそ、文部省の誰かが業者に電話する前に、合同清掃班を出そう。そして、草は根元から抜こう。芯の部分だけ刈ったものだから、草は前よりうんと抜きにくくなっていると思う。しかし、それで苦労するのも、霞が関界隈浮世の話というものだ。
 



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