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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 三宅島?“故郷に帰りたい”だけでいいか  
コラム名: 自分の顔相手の顔 434  
出版物名: 大阪新聞  
出版社名: 大阪新聞社  
発行日: 2001/05/22  
※この記事は、著者と大阪新聞社の許諾を得て転載したものです。
大阪新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど大阪新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   先頃、三宅島の噴火から一年目を迎えて、「その後のニュース」に焦点を当てたものがたくさんテレビで放映された。慰問のために温泉旅館が招待してくれたり、寄宿生活をしている子供が親たちといっしょに過ごせるイベントも企画された。

 島の人たちから取った談話は一様に、早く島に戻りたい、仕事を再開したい、というものであった。誰しもが自分の家が掛け替えのない存在であることは当然である。農業にしても、民宿にしても、投資した機械や設備が利潤をあげ得ないままにローンだけ残った辛さは、どんなに悔しいだろう。どこへ責任を持って行きようもない挫折というものは残酷である。

 しかし番組自体は、すべての人が島へ帰りたい、という言葉だけで埋められていた。それは嘘だろう。こういう状況になれぱ十人のうち九人までが、故郷に帰りたいと思っているに違いない。しかし東京の生活に馴れた子供や青年の中には、都会の生活というものは何と自由でいいものか、ということを改めて知った人も必ずいただろう、と思う。だから噴火前から島は過疎化の方向を辿っていたのだ。

 都会には緑も潮の香りもない。

 その代わりに、個人の生活に干渉されない輝くような自由が溢れている。都会には他人の生活を規制する空気が希薄だ。私などは、一切他人に関しては、知っているとも、親しいとも言わない。従ってその人のことを喋りもしないし、代弁もしない。そういう形で個人の生活を守り、同時に守ってもらっている。恐らく島の生活にはないすぱらしさだ。

 「島へ帰りたい」「島の自然がいい」のが主流であることははっきりしている。しかし主流ではない真実も発見もある。それを漏れなく掬うのが大人の視線だ。最近のマスコミはどんどん幼児化しているから、島へ帰れないのが悲しい、というストーリーだけでレポートを作る。

 私が三宅島の若者だったら、島に生れたことを懐かしくすばらしいものだった、という実感を魂の基点にしながら、都会の複雑さを知ったこともやはりよかったと感動するだろう。そして都会にこそ、人間生活のおもしろさとすばらしさも凝縮してあり、しかしだからと言って故郷の記憶は決して薄れることはない、とその出自に改めて感謝する。このような複雑な、むしろ矛盾に満ちた判断ができる時、はじめて、難民問題の解決や、人々の老後の暮らし方や、離島問題などにも、深い理解や配慮が可能になるのである。
 



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