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お彼岸の頃は、お墓はお参りの人で混むので、私は避けるようにしている。私の家はキリスト教だから、お参りはいつでも、人のじゃまにならない時がいいのである。 たまたまお参りに付き合ってくれた人が、南米で体験した話をしてくれた。その人の知人の幼い弟が亡くなった時、墓地の都合で、仮埋葬をした。一年以上経って、墓地の用意ができたので、お棺を掘り起こしたところ、中に入れて置いた玩具は皆盗まれていた。墓それはまあ、生きている命を助けるわけだから私はいいと思うのだが、南米の国では、墓地へ行くと胸を衝くような話をよく聞かされる。
ボリビアで私が何度か訪れている墓地には、田舎から都会へ出稼ぎに来たインディオたちの墓が幾つもある。皆若くして結核に掛かり、手当てをしても、長年の重労働や栄養不良の結果体力がないので、ついに救えなかった人たちである。
死んだと知らせても、肉親はほとんど遺体を引き取りにも来ない、という。家族全員がお互いに読み書きができないので、文通も不可能だったし、今さら行方不明同様だった息子や夫の葬式に行くための旅費も埋葬の費用も、あるわけがないのである。そうした死者たちの年齢は三十代の前半である。
ひどいのは、遺体そのものが、盗まれていたというケースがある。恐らくは墓守が、大学の医学部と通じていて、死者が出るといち早く通報し、夜中のうちに掘り出して売ってしまうのだろう。そ泥棒というのは、エジプトなどの遺跡で活躍するものだと思っていたが、実はあちこちにあるのである。
南米の日本人は、お墓にお菓子や果物やお酒などのお供えをする。他の国の人たちはほとんどしない習慣らしい。それを知っている貧しい人たちは、墓の傍に隠れていて、すぐお供物を取って食べてしまう。或る日系人がお墓から立ち去る時、ふと後ろを振り返ったら、もうお供えしたものが消え失せていた、という話さえある。して後にはもぬけの空の墓だけが残る。
こんなことに驚いていてはいけない。死は病死とは限らない。貧しい男が、同じ村の少女を凌辱し、村人たちに殴り殺されたケースもあった。その男の残した息子はまだ三歳くらいだった。私の知人の神父は、墓参りの間中、ただひたすらその遺児を父の代わりに腕に抱いていた。
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