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私は気が小さくて、若い時から、いつも「もう一つの職業」の可能性を考えていた。さまざまな理由で小説が書けなくなったら、何をして食べて行こうか、と考えるのである。 それはあながち、妄想の危機感ではなかった。主な新聞は常に左傾していて、原稿に検閲を加えていたから、いつ書くことを断念しなければならないか、と考えるのも当然であった。 今でも私は外国へ行くと、反射的にもしこの国で一生暮らさなければならないことになったら、何をするだろう、と考える癖が抜けない。その結果、私は四つくらい、自分にできる仕事がある、ということを発見したのである。 第一は包丁研ぎ。アフリカなどでは、どこの包丁もおそろしく切れない。こういう国に砥石一個持ってくれば、それでその日から商売ができる。包丁研ぎは、私の趣味の一つなので、原稿が一つ仕上がって、十分でも時間ができると、家中の包丁を砥石で研ぐ。 第二は、按摩、鍼、灸。日本では免許がないから商売できないが、私はつぼがわかっているから、免許のいらないアフリカでならやれる。その際できれば、大統領とか王さまとか大富豪に取り入ってお抱えマッサージ師になり、治療をしながら人事すべてに口を出し、頼みごとをしに来る人からは取次料の名のもとにワイロを取って、「君側の奸」を目指す。これはドラマティックな人生を送れるだろうが、政権交代の時、どさくさ紛れに日頃のウラミを晴らされて殺される恐れがある。 第三の仕事は、もっといかがわしい。手相見である。単純なことなら、私でも割と当たる。この場合は庶民相手に僅かな金を取るのだが、それでも貧乏な人には気の毒なくらい高いものになるだろう。 第四はレストランか「小料理屋」の経営。世界には、こんなにまずいものをどうしたら作れるのか、と思うようなレストランがその国の首都の最高の店だったりする。私だったらもう少しましなものは作れると思う。それにその土地にあるだけの材料で、どれだけ日本の味に近いものが作れるか挑戦するのは楽しい。そして年に十人くらいは何かの仕事でやってくる日本人客に、涙を流さんばかりに喜んでもらう。 この中で一番爽やかなのは、包丁研ぎだが、お客そのものがあるかないかわからない。野菜も魚も、ナタみたいな包丁でぶったたいてねじ切るみたいにしている人が多い土地もあった。切れる包丁の味なんて全く知らないかもしれない。それに研いでも研ぎ賃が一円か二円ということになると、果たして食べていけるかどうかである。 しかしどこででも、小説以外で何かをして生きて行けると思えることは、私にとっては実に嬉しいことだ。いつもいつも、どうしたら食べていけるかしら、と案じているよりは、君側の奸になっても生き抜く方がいい。
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