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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 家庭の事情?評判に屈せずうちはうち  
コラム名: 自分の顔相手の顔 7  
出版物名: 大阪新聞  
出版社名: 大阪新聞社  
発行日: 1996/12/02  
※この記事は、著者と大阪新聞社の許諾を得て転載したものです。
大阪新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど大阪新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   誰でも自分の評判というものは気になるものだ。しかし評判ほど、根拠のないものはない。自分以外に自分を知っている人はないのに、その知らない他人が自分のことを言っているのだから、評判が正しいはずはないのである。
 その評判に動かされる人が多い。世間というものが眼に見えない力で圧力をかけるのである。
 ずっと昔、今はもう中年になっている息子が幼い子供だった頃、テレビが自宅にあるかいなかが、そのうちの生活程度を示す一つの大きな決め手であった。そしてうちにはよそのうちよりかなり遅くまでテレビがなかった。
 深い理由はない。私も当時既に原稿料をもらっていたから、テレビを買おうと思えば買えないことはなかったと思うが、私は人と同じことをするのは、できるだけ避けようとする動物的本能を持っていた。人込みへ行くから、混んだ電車に乗らなければならないのだし、事故があった時、人と同じ方向へ逃げるから踏み潰されて死ぬのである。
 せめて人がすることにあまり同調せず、むしろ人がしないことをするから、初めて私のような者でも生きる場があるのではないか、と私は考えたのである。
 もちろん、このようなささやかな抵抗ができるのも、社会が平和で民主的な空気があるからこそである。皆がする通りにしなかったら、ハリツケにするぞ、などと言われれば、小心な私はすぐ屈伏する。
 私が子供にテレビを買ってやらなかったのは、一つには彼が十分に退屈という人間的な心を知るべきだと思ったからであった。動物は退屈などしないだろう。退屈するということはそれだけで人間の証である。退屈すれば人は自然に本を読むようになるし、ものも考えるようになる。友達と遊ぼうともする。
 退屈は、自分の運命をよく考えて選ぶ基本的な状況である。そして実際、息子は暇を持て余して、本でも読まなければ時間の潰しようがないから、読書の癖もついたのである。
 それでもかなり長い間、息子はものわかりの悪い親に文句を言っていた。誰それ君のうちでも、今度テレビを買ったよ、という式の一種の圧力である。それでも、私は屈しなかった。ものわかりの悪い親だ、と思われれば、それで済むことである。もちろんものわかりのいい親の方がいいだろうけれど、ものわかりの悪い親でいるのも、一つの現実だし、反面教師でもあるのだから、全面的に悪いわけでもなかった。
 「あなたが結婚して自分の家庭を持ったら、チャンネルの数だけ自分のお金でテレビを買って、好きなだけ見なさい」
 と私は言った。
 「うちはうちです」という言葉を、各家庭が持つべきだろう。うちのやり方が正しいのではない。しかしどこの家にも家庭の事情と趣味はある。それは押し通していいのである。
 



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