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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 褒める?誰が書いてもいいものはいい  
コラム名: 自分の顔相手の顔 318  
出版物名: 大阪新聞  
出版社名: 大阪新聞社  
発行日: 2000/03/14  
※この記事は、著者と大阪新聞社の許諾を得て転載したものです。
大阪新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど大阪新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   私は読書家でもない上、本について語るのが好きではない。おもしろい本は一人でおもしろがって読んで、一人で感動しているのが好きで、それを書評になど書こうという気がしない。つまり身勝手なのである。
 ことにむずかしいのが、小説家ではない、有名な人の書いた(描いた)作品を褒めることだ。水上勉氏の絵は、絵描きでなかった筈の人が描いた絵としては、信じられない風格があって、毎月雑誌に連載されているものを楽しみに見て感心し、ちょっと羨んでもいる。
 有名人の作品を褒めるとおべっかを使っていると思われそうで賛辞を述べるのが難しい空気がある。そしてまた不思議なことに文学の世界は、ほかの世界で地位を築き、有名になった人のことは、ほとんど褒めることがない。そんな人に文学がわかってたまるか、と思うのだろうが、それも狭い心である。
 私は中曽根康弘元総理の俳句のファンである。句集を読むと、元総理は十七才の時から既に詩心を持っておられた。外国の大統領と会いながら、その場で「日本の詩」を作って示せるような総理を、国際社会はどれだけ評価するか、日本人にはまだよくわかっていないのかもしれない。
 文学を理解し、古典に通じているということは、教養の基本なのである。今はそんなことさえ先生たちが誰も教えなくなってしまったから、テレビの画面ばかり見ていて一生済む、と思う若者が増えた。
 最近では裏千家若宗匠、千宗之氏の『母の居た場所』が端正な追悼の記録であった。
 実は氏は、小説にもすばらしい腕を持っている。しかし裏千家若宗匠というだけで「差別する」文学の世界の体質が、今まで氏の才能を伸ばすことをいささか妨げて来た、と思われる。もっとも裏千家のお弟子さんたちは、若宗匠に小説など書かれてはたまらない、と氏を作家にしようとする仕掛け人の私を怒ることはまちがいないから、私も恐ろしくて止めたのである。
 しかし、この本は何より文章の速度と、温度と、湿度が適切だ。この三つの要素は、作品を書く時に、その都度、内容によって違う組み合わせを持たなければならない。その抑えの効いた言葉の選び方が、どのエピソードを取っても、「母、登三子」の薄く端然と仄かに心身の身仕舞いを整えた姿勢を映し出す。素顔ではない姿勢を正した姿だが、厚化粧などしたことのない母である。
 どんな人の著作でも、いい作品に出会えば、読む者はめろめろに好きになっていい。元総理の作品だろうが、死刑囚の作品であろうが、である。元総理と死刑囚とを並べて書くのはケシカランと怒るような人は、文学というものの恐さも自由さも、根本からわかっていないのだ。今の編集者には、元総理の作品なら初めからだめで、死刑囚の作品なら少々まずくともうまいと思ってしまう人が多過ぎて困る。
 



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