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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 慈悲の心?荒野に学ぶ人の有り様  
コラム名: 自分の顔相手の顔 140  
出版物名: 大阪新聞  
出版社名: 大阪新聞社  
発行日: 1998/04/28  
※この記事は、著者と大阪新聞社の許諾を得て転載したものです。
大阪新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど大阪新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   エジプトのシナイ半島を、カイロから車でサンタ・カタリナへ抜ける道は、つい数年前までは、モーゼがイスラエルの民とエジプトを脱出した三千二百年前もこれに近かったろうと思うほどの荒野ばかりだった。それが最近ではあちこちにリゾートらしいものもできて、その発展の姿は信じられないほどである。
 もう十年近く前のことである。私は数人の友人と、やはりバスでカイロを出発した。運転している人が、直前に案内書で調べたところでは、シナイ山の麓のサンタ・カタリナ修道院に宿泊もでき、近くにガソリン・スタンドもあるということだった。ところが行ってみるとスタンドは廃業されていた。
 私たちはこういう形で、日本以外の文化の形を学んでいったのである。相手を信じないことと相手を信じることとは、同時に行われなければならない作業であった。相手が「心配いらない」と言ったら、それは心配すべきことがある証拠だし、「問題はない」と言ったらそれは問題がある証據だと反射的に考える癖もつけられた。
 この時も、私たちは案内書を疑わずに信じたのが悪かったのである。しかしいくら反省してももう遅かった。私たちの車のジーゼル用の燃料は、どう計算しても一番近いオアシスのある村までももたなかった。
 車を捨てるわけにもいかない。私たちはとにかく人のいる所を探すことにした。すると近くに有刺鉄線を張った軍隊の駐屯地があった。
 私たちは中に車を乗り入れ、アラブ語のできる人が事情を説明しに行った。私は半分くらい断られることを覚悟し、半分くらい軍が油を売ってくれることを期待していた。その場合司令官は、私たちに売った油の代金を黙って懐に入れるだろう、というのが私の予想であった。
 先方が油をくれる、ということになった時、私はほっとしたが、すぐいくらで油を譲ってくれたかが興味の種であった。私たちの仲間が辺境にある司令官を少し騙して安く譲らせたか、司令官の方が強者で私たちの足元を見て高く吹っかけたか、どちらだろう、と私は考えた。
 ありがとう、さようなら、と手を振って駐屯地を出たところで、私はすぐ交渉に当たった友人に尋ねた。答えはどちらでもなかった。
 軍はただで油をくれたのであった。誰でもエジプト軍に行けば油をただでもらえるのではない。私たちは困窮の状態にある旅人だと認められたからであった。砂漠では、一ぱいの水さえも、許可なしに水源から飲むことはできない。オアシスの使用権は、厳密にどれかの部族に帰属している。しかし困窮している旅人には、敵対部族といえども、一夜の宿と水とパンを与えねばならない。
 日本でも時々この時の体験を考えた。日本では子供にこういう慈悲と救済の精神を教えているだろうか。慈悲の心のない人は、人間として見下され、世界にも通用しないのである。
 



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