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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 台湾大地震?「日本人が一番先に・・・感謝」  
コラム名: 自分の顔相手の顔 284  
出版物名: 大阪新聞  
出版社名: 大阪新聞社  
発行日: 1999/11/02  
※この記事は、著者と大阪新聞社の許諾を得て転載したものです。
大阪新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど大阪新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   台湾の中部大地震の後、一番早く現場に乗り込んだのは、日本だった。地震発生は九月二十一日午前一時四十七分頃、マグニチュード七・七であった。
 台北におられた李登輝総統はまだ就寝されていなかった、とご自分で語られた。まず電気がすうっと暗くなって、それから停電した。その後で地震が来た。電気の方が先に異変を告げたのである。
 日本へは国際連合人道問題調整事務所からの緊急援助の要請があり、外務省から消防庁長官に国際消防救助隊員の派遣要請が伝えられた。
 国際消防救助隊員がまず一名先乗りとして入ることが決ったのが十一時二十分。十四時○○分羽田発の中華航空で現地時間十六時二十分には台北に着いている。
 第一次派遣隊十五名は、同日の二十時五十分には台北に入った。さらに第二次派遣隊十五名は、それから一時間二十分遅れの二十二時〇九分には台北に着いており、最後の第三次十五名も翌二十二日十一時二十分に到着した。隊員の名簿から見ると鹿児島や佐世保の消防局からも加わっているからいかに素早く行動編成がなされたかがわかる。国際消防救助隊が四十六名、警察が四十五名、海上保安庁十三名、JICA調整員五名、というのがその総数である。
 「日本人が一番先に駆けつけて来てくれたことを感謝します」
 と今度、台湾に日本財団からのお見舞金を届けに行った時、あちこちで言われた言葉がそれである。災害の時は、何はともあれ、何ができますか、と駆けつけることなのだ。李登輝総統を初めとして、政府要人がこの一カ月、救援のために疲れ果てておられることは知っているが、お金だけ振り込めばいいというものではない。ほんの五分間、お見舞の心を述べるために行ったのだが、いい話を総統からもたくさん聞かせて頂いた。
 日本から送ったプレハブの第一陣は八坪のもので十月九日には建て終り、大変役に立ったが、日本からの贈りものに台湾政府はテレビ、冷蔵庫、冷房をつけ足した。それで入居した人はほんとうに満足した、という。誰がどこまで心遣いしようと、住むことになった人がささやかな幸福を得れば、それでいいのだ。李総統は財団がお贈りした三億円の使い道についてもはっきり目的を示され、今まで不備だったこうした近代的な救援隊の装備と訓練にあてたいと、言って下さった。
 日本からの国際救援隊が帰国する日、台北の飛行場の出国手続きをしている時だった。空港勤務の出入国管理宮や税関職員の間から全く期せずして、拍手が起きたという。誰が指令したのでもない。自然に人間の心の感動の波が伝わった瞬間であった。
 地震は全く災害である。しかしその不幸の中でさえ、人間は明るさと希望、励ましと勇気を与えられる。人生は捨てたものではない、のである。
 



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