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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 金の使い方?水のない村にいい井戸を掘る  
コラム名: 自分の顔相手の顔 369  
出版物名: 大阪新聞  
出版社名: 大阪新聞社  
発行日: 2000/09/12  
※この記事は、著者と大阪新聞社の許諾を得て転載したものです。
大阪新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど大阪新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   日本にいると、私のお金に対する価値は比較的常識的でいられる。「主婦感覚」という言葉を私は別に好きではないのだが、私自身はまさにその典型で、あの店では牛乳が二百三十円もしているのに、ここでは百四十九円だ、などと一喜一憂している。
 しかしブラジルへ来ると、この感覚が時々おかしな形でくずれる。日本円やドルを持っている私は、冷静に考えれば大金持なはずだが、市場へ行くとバナナが一枝(ということは日本で売っているような房が十五も二十もついているようなのが)八十円と言われると、この国の人は最低賃金が一月約九千円にしても、別に深刻ではないのかな、と思いそうになる。もちろん九千円では家族を食べさせられない。だから泥棒も麻薬もはびこるのだが、一方で、市場でわざと床においてあるバナナの房に爪先を引っかけ、うれて落ちたのを拾って食べているだけでも空腹にはならない、という恵まれた点もある。私たちも市場で垢だらけの服を着た少女から、バナナをもらった。落ちていたバナナなのだろう。皮はかなり黒い。しかし剥いてみると、中は充分にうれてしっかり食べられる。恵まれる友情と幸福は日本ではめったに味わえないので、本当に嬉しかった。大金を持っていたって、人間は一日に三食か四食以上は食べても幸福ではないのである。だからお金というものは、或る程度以上に持っていても、人間を毒するだけになる。
 マナウスという中流の町は、今から四十年くらい前は行くのも大変な所だと思っていたが、自由貿易港にしたので、急に繁栄した。港と言っても、川中が広い所では九十六キロ、狭い所でも一・五キロというアマゾン川に面した港である。
 その近くの貧しい村の人々は、子供たちをなかなか学校にやらない。親たちの大部分が字を読めないので、勉強するとどういういいことがあるのかよくわからない。学問などしなくても呼吸もできるし、ご飯も作れるし、子供も生める。それに学校へ行くには、遠い距離を歩かねばならなかったり、川があるのに橋はおろか渡しも充分になかったり、少し夕暮れになると、「悪い人」が出るから女の子を通わせられなかったりする。だから子供たちは一日家の周辺でごろごろすることになる。
 そういう中で、イタリア人たちの支援団体は、水のない村に、せっせと井戸を掘る資金を出していた。村には水道も井戸もない。アマゾンの支流の一つはすぐそこを流れているのだが、酸性が強くて飲める水ではないという。百五十メート掘って二百四十万円かかるのだが、百パーセントいい水が出るという。その井戸はもう百本を越えている。
 その国の政府が何もしない村に、生命の水を贈る、というのは、何という有効な金の使い方だろう。そんなことをするから、その国の政府がますます何もしないようになる、という指摘を私は今までに何回も受けたが、やはりイタリア人たちはいい金の使い方をしているのである。
 



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