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一九九七年十一月十七日 シスター遠藤の働くアンブィノーリナの診療所。 東京から有名なドクター・江浪が来た、ということが知れ渡ったか、患者が早くから小学校の教室いっぱいくらい集まった。まずインド人のシスターの訓話、それから祈り。女性の患者が立ち上がって、私たちに歓迎の言葉をしっかりと述べる。日本の国立病院とは大分勝手が違う。 ごま塩頭の男性患者。足が膿んでいる。 十八歳の若い娘。二日前に耳に虫が入った。それ以来、耳が痛い、という。もし虫が生きているなら明かりに向かって出て来るはずだから、と懐中電灯を差し出したが、異物はなし。外耳炎。 インテリの女教師。夫の浮気が原因の心因性の頻脈。脈拍数が九十九もある。どこかで採って来た心電図を持って来て、見てくれと言う。 隣室ではいよいよ厚生省の江浪ドクターの出番。指が曲がって骨がでかけている男の人は、もうここではよくならないから、国立病院の外科へ行きなさい、とポーランド人の看護婦のシスターが言って聞かせたのに、国立は不親切で薬もない、とまたやって来た患者だという。 いよいよドクターの手術。見学者があまりに多いので、私は隣室にいたが、実に堂々たる処置だったそうで、ポーランド人のシスターの目に尊敬の色が溢れたそうだ。 数分後に患者は包帯を巻いてもらってにこにこ顔で、シスター遠藤の所へ来た。僅かなお金を払って帰ったので、私がシスターに、 「手術料はいくらでした?」 と聞くと、 「あ、忘れました」 今まで、手術料など取れるケースがなかったのである。お金を持っていない人には、 「収穫の時にお払いなさい」 という世界である。 どの患者も、この診療所へ来る時は、せいいっぱいお洒落をして来る。他に晴れ着を来て行く所は、教会くらいしかない。女性には歯のない人が多い。食べ物が悪いせいだろう。たくさん子供を生むので、一回の妊娠の度に、二本の歯を失うと言う。 夕方、村長さんに挨拶に行く。贈り物は、キャンデー二袋。村長さんは裸足で、穴の開いた天井の、電気もない土間のオフィスにいる。病院が欲しいという。歓迎のために村の見物に連れて行くと言うが、観光名所は、崖の途中に作られた大きなお墓。それと、彼のご自慢の田んぼ。私は愛想が悪いので途中で帰る。雨も降って来たことだし。 十一月十八日 再びフィナランツォアヘ。 橋桁用の板を積んだ自動車が先行することも往きと同じ。順調に着いて、昼食の後、飛行場へ。ここからチャーター機で南部のポール・ドルファンヘ向かう。陸路を行くことも考えたのだが、アフリカでは、百キロに一度くらいの割りで命の危険を覚えるような目に遭うので敢えてチャーター機に踏み切った。日本で考えるほどの値段ではない。 私たちを待っている飛行機は二機。一機は小型で五人乗りの双発。一機は古めかしい単発の九人乗り。「あっちの小さい方がいいね」という声が別々の二人から聞こえた時、私の心は決まった。私が九人乗りに乗る。財団の職員を三対二に分けて、後はざっと体重で二分する。 飛行機は九人乗りが先に離陸した。高度一万二千四百フィートまで昇る。息が少し苦しくなって、もうこれ以上高くならないように、と祈った所で、高度計はぴたりと止まった。しかしパイロットは、交信のし詰め。何でこんなに話すことがあるのだろう、と不安になる。雲は濃い。彼の言葉で私に聞き取れたのは、しかもたった一言「chercher(探す)」という単語だった。何を探すのだ? 私たちは針路を失ったのか。 一時間半の飛行で、ポール・ドルファン着。反射的にもう一機を探す。向こうは双発だから、こちらを抜いたかもしれない。 しかし飛行場に機影はなかった。私たちが機を降りたところで、パイロットは、もう一機はレーダーを持っていないので、途中で引き返したと言う。ルートには、東側と西側と二本の選択があり、普通は西側を取るのだが、自分は悪天候を避けるために東側を取った。エルニーニョ以来、今年のマダガスカルは実に不思議な天候が続いていると言う。安全に着陸したのですね、とそれだけを確認して、九〇パーセントの安堵。 しかし運とは不思議なものだ。だれが見てもボロな飛行機の方が、装置がよく、しかも先に着いた。 とにかく宿に入ることにした。ホテルの前で、この土地で植林をしているNG0グループ「サザンクロス」の橋詰二三夫さんに会う。明るくてすがすがしい青年。しかも農大を出た専門家。亡くなられた龍胆寺雄氏のお孫さんだということは後でわかった。 白い波が壮大に砕ける浜を眼下に見ながら、町で一軒の?美容院へ行く。縮れ毛を金髪に染めて、兵隊でもないのに軍用の迷彩服を着た男が、子供をあやしていて、それはマダムの夫なのか、客の弟なのかわからない。店のブラシで虱をうつされたら、とちょっと心配になったが、目をつぶることにした。
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