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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: ボランティア?この人達の献身も忘れない  
コラム名: 自分の顔相手の顔 19  
出版物名: 大阪新聞  
出版社名: 大阪新聞社  
発行日: 1997/01/21  
※この記事は、著者と大阪新聞社の許諾を得て転載したものです。
大阪新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど大阪新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   ロシアの油槽船ナホトカが座礁し、重油が流出した事件で、北陸や山陰の被災地にたくさんのボランティアが来てくれた。ああ、日本人も変わったなあ、と嬉しくなった。私もそれらの土地に住んでいたら、間違いなく作業に出たと思う。長い柄のヒシャクを見たのもひさしぶりだった。あれは昔、旧式トイレや畑の肥溜から肥料を汲み出す時に使っていたものとそっくりである。
 私が今勤めている日本財団というところは、そのような民間の小さなボランティア活動にも積極的に素早く援助のお金を出すのを任務にしているところだから、そのような善意に水を差すわけでは決してない。ただ昔、私が育った学校はカトリックの修道院が経営する私立だったので、困っている人に手を差し伸べることをその頃から当然の人間の行為として教えられたが、同時にその順序も明確に示されていた。「身近な所にいる人から救う」ということがその原則だったのである。
 後年私はふとしたことからNGOベースで途上国の援助をする組織で働くことになったが、その時、厭味のように言われたのは「アフリカの或る土地で、いくらか人を救ったって、別のところで何万人も死んで行ってるんだったら、何にもなりませんね。むしろ不公平ですよ」という言葉だった。
 ありがたいことに、私はそういうことに対処する考えもはっきりと教わっていた。人間の行為には初めから限度がある。人は身近な人からできるだけ助けて行き、肉体的にも経済的にも限度まで働けば、それ以上できなかったことを悩むことはない。全部を助けられないのを理由に、助けられる一人を助けないことはない。
 アフリカの村は確かに私たちから距離的には遠い所だが、そこに目標を置いたのは、その土地には私たちの知人のシスターが入っていて、私たちが送った薬やお金を現場で洩れなく使ってくれる保証があるからであった。つまりそこは、私たちにとって一種の近い場所になっていたのである。
 見ず知らずの人を救うより、自分の両親や兄弟や友人から助けるべきだ、という優先順位は、今でも変わっていないだろう。感情もなくなった年寄りの下の世語を、何年もし続けている人は、重油除去のボランティアに行けたらどんなに楽しいだろう、と考えているかもしれない。ボランティア活動なら、止めたい時に止められる。会ったこともない人と話もできる。何より夜になれば、安心して眠ることができる。しかし身近な人の世話は期限がない。夜の安息もなく、変化もなく、感謝もされない。
 社会はいろいろな人の善意と献身の上に成り立っている。私はそのことを忘れないようにしようと思う。重油除去の作業に行ってくれた人たちと同じように、黙って変化のない看護に当たっている人にも深い感謝をしたい。
 



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