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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 親しき仲?傷は深い家庭内の不作法  
コラム名: 自分の顔相手の顔 11  
出版物名: 大阪新聞  
出版社名: 大阪新聞社  
発行日: 1996/12/16  
※この記事は、著者と大阪新聞社の許諾を得て転載したものです。
大阪新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど大阪新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   家庭は、心の休まるところでなくちゃ、という言葉をよく聞く。幼い時から、父が気難しい人だったので、うちでも緊張し続けだった私は、ことのほかこの言葉が好きで、そうだ、家庭では気楽でだらけていられなくちゃ、とその言葉をなぞるような気分になる。
 しかしほんとうは少しニュアンスが違うらしい。家庭の中でも、決してしてはいけないこと、というのはあるというのだ。
 たいていの妻は、私だけでなく、家ではボロを着て、お化粧っけもなく、髪もばらばら、時には鬼ババアのように見えたりする。起き抜けからきれいな人、というのもいないではないだろうが、美というものは、本来九十パーセントまでが人工的に磨き上げた努力の結果だから、自然のままの姿が人の感動を得るのはむずかしいことだ。素材としてのよさは、その人の持ち味の十パーセント分くらいの力しか発揮しないのではないかと思う。
 四十歳を過ぎてから、遅まきに聖書の勉強を始めて、ほんとうにびっくりしたことがある。聖書の中にはパウロという人によって書かれた「コリントの信徒への手紙」が二通含まれているが、その第一の手紙の中の十三章四節からが、「愛とは何か」という最もむずかしい概念を規定した個所になる。
 そこには愛の特徴の一つとして「礼を失せず」(コリント人への第一の手紙13・5)ということがある、と書かれているのである。
 パウロは十二使徒ではないが、初代キリスト教会を作るのに最大の力となった人である。その人のこの言葉を読んだ時、私は自分が今まで家庭というものについて考えて来た「気楽さがいい」という思い込みは、全くの間違いなのだ、ということを思い知らされたのであった。
 家庭内での不作法は、相手を深く傷つける。「あなたなんか会社でだって役立たずじゃないの」とか「妻子もろくに養えなくて何言ってるのよ」などという妻からの言葉もあるし、「お前みたいなブスが一人前の顔するな」とか「お前の一家は揃いも揃って頭が悪いからな」などと言われたという妻にも会ったことがある。
 すべてこれらは「礼を失した」態度なのである。
 親しき仲にも礼儀あり、というのは、友達同士の関係を言っているのだろうと昔は思っていたが、今では夫婦・親子の間で必要なことなのだ、と思うようになった。
 私たちは多分一生、誰にも甘えて不作法をしてはいけないのである。そんなこと疲れるでしょう、と言う人もいるが、むしろきりっと気分を張り詰めて、配偶者にも成長した子供にも、立ち入りすぎた非礼をなさない、と決心する方が却って楽なのかもしれない。
 こう思ってから後でも、私はまだしばしば礼を失しているのだが、酒を呑みすぎてべろべろに酔うのも、服装に無頓着なのも、愛がないことになる、という解釈は新鮮である。
 



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