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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 提督の間、波に揺れる  
コラム名: 私日記 連載22  
出版物名: サンデー毎日  
出版社名: 毎日新聞社出版局  
発行日: 1997/08/31  
※この記事は、著者と毎日新聞社出版局の許諾を得て転載したものです。
毎日新聞社出版局に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど毎日新聞社出版局の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   一九九七年七月二十八日
 第二回目の海の日の関連事業として日本財団は国際海洋シンポジウム97を開く。今年は「海は人類を救えるか」というテーマのもとに、十三人の先生方に講演やパネル・ディスカッションをお願いしている。
 そのために来日された前・ポルトガル大統領マリオ・ソアレス氏が、財団に挨拶に来られた。今朝お着きになった後、皇居で天皇皇后両陛下にお会いになったところだそうで、大変嬉しそう。陛下の海洋の知識の深さに驚いておられたので、ロイヤル・ファミリーが学者でいらっしゃるのは、私共日本人の喜びです、と申し上げる。
 夕方、お台場の船の科学館、旧羊蹄丸にシンポジウムの関係者をお招きして歓迎会。アドミラル・ホール(提督の間)にいると台風の余波でシャンデリアが僅かに揺れる。それがなかなかいい。
 七月二十九日
 国際海洋シンポジウム第一日目。十時少し過ぎ、会場の国際展示場着。開会式で挨拶をしなければならないので、昨日は原稿を作るのに少し手間取った。私が基本的なことに無知なので単純なところがわからないのである。
「世界百九十三カ国のうち、海のない国は」と書いたものの、数がわからないから、財団の海洋船舶部の物知りの知恵を借りて、いかにもそんなことは昔から知っていたような文書を作った。
 海がないということは、明快な不運である。海があれば、大量の輸送は甚だ有利になる。調べてわかったところでは、海岸線を持たない国は三十七カ国。カスピ海と黒海を海と認めても三十一カ国。
「人間の運命が決して平等ではないのと同様、国家のなりたちもまさに不公平だと、私は何度思ったかしれません」
 と書く。
 もう一つちょっと面倒だったのは、日本でどこが一番内陸の奥深い地点か、ということ。地名はいらないのだが、一体海岸線から、どれくらい奥に入ると書いたらいいのか。私のうちにある分県地図だと、長野県は海岸線が一部しか出ていないので、正確に計算できないのだ。私は何でもいい加減だから、百キロほどと書いておこうかと思ったが、財団が国土地理院まで調べてくれて、やっと「約百二十キロ」とわかる。
 先日、ブルキナファソに古着を送る話が出たら、海に面したカメルーンが関税をかけるとのこと。人だけでなく、国もイジワルをするものだ。関税を払うのが嫌なら古着を空輸する他はない、という。何という矛盾。
 夜は目黒の八芳園で夕食会。ソアレス前大統領も、ポルトガル大使といらしたので、庭を少しご案内しながらお話をした。「昔、この素晴らしい庭を持つ広大なお邸は、私の同級生のうちでした。お父さんは大実業家で久原房之助と言う名前でした」 と昔語り。「昔の日本人は、こういう豪邸に住んでいたのです。しかし戦争が終わると財産税で、皆こういう家を持っていられなくなったのです」
 庭の一部には盆栽がおいてあるので、
「この盆栽は、日本の現在の近代的な工業力と無関係ではありません。日本人は何でも、精巧に矮小化することが好きでした。ですから、盆栽を作るように半導体のチップスを作ったのです」
 と説明した。
 食事の時の私のお隣は、ボン大学教授・日本文化研究所所長のヨーゼフ・クライナー氏。「ドイツ語から日本語になったのはナフタリンですね」と知ったかぶりをしたが、教授に教えられてみると、ピッケル、アイゼン、ヤッケ、ルックサック、ザイルすべて山用品はドイツ語。それに比べて、ポルトガル語から日本語になったものは、テンプラとか、カステラとか、おいしそうなものが多いと教授はユーモラスに言われる。
 八月一日
 朝十時四十分発の全日空で北京へ向かう。今日から中国で二カ所、いわゆる貧困地帯と呼ばれる地域の調査を始める。成都から北に九寨溝までと、昆明から南、国境までの二つの区域が対象である。
 寒がりの私は昨夜になって九寨溝の高度を知り、慌てて寝袋を荷物に入れた。自分だけは温かい思いをして寝よういう狡い計画である。
 メンバーは笹川陽平理事長と三男の光平さん。財団総務からは中国語要員の菅井昭則さん。笹川平和財団からは宇展さん。それとお客さまは早稲田大学教授の吉村作治氏。
 北京空港で二時間ほど待って、成都行きの国内線に乗る。昨日からの雨で便の遅れが出たとかで、空港内は渋谷駅前の交差点並みの混み方。人をかきわけて、やっとゲートに辿り着く。
 柔らかい夕陽の中を午後七時過ぎ成都着。九百六十万もの人口の都市である。
 去年はなかったという「總府皇冠假日酒店」のきらきら光る入り口に、女子従業員が十人ほど並んで「イラッシャイマセ」。これは日本旅館のやり方をまねたものだろう。
 夕食には、草魚、ナマズ、コイなどのお料理。内陸なのだから当然である。そういえば、大通りの真ん中で道を横切ろうとしていた男の手の中で、大きな鯉が躍っていた。
 



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