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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: プロ野球?日本的美学を打ち壊した…  
コラム名: 自分の顔相手の顔 57  
出版物名: 大阪新聞  
出版社名: 大阪新聞社  
発行日: 1997/06/16  
※この記事は、著者と大阪新聞社の許諾を得て転載したものです。
大阪新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど大阪新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   私は野球のことは、どうしたら点が入るかという基本的なルールを知っているだけなので、いつも沈黙を守っているが、時々、世間の話題が耳に入って来ることがある。
 巨人の清原選手が打てないので、スタメンをはずされるかもしれない、という話題が朝のテレビのニュースにも出た日があった。キャスターが「しかしまさか清原が、これほど打てないとは思いませんでしたよねえ」というようなことを言ったのである。
 私はその瞬間、あれ、と思った。私など生まれてこの方ずっと人生は決して思い通りにならない所だから、高い契約金など取ると必ず打てなくなるだろうと反射的に考えていた。
 何によらず途方もなく高いお金をもらうということは、基本的には恐ろしいことなのである。清原選手の契約金の金額を、改めて新聞社に教えてもらったところ、年俸三億六千万円プラスFA補償金三億六千万円(金額はいずれも推定)だという。才能は代わりがないのだから、当然と言えば当然かもしれないが、野球選手たちが交渉して値段をつり上げるというやり方に、私はずっと違和感を感じて来た。
 野球が多くの中高年に楽しみを与えたのは本当である。舅が高齢でもうどこへも出歩けなくなった時、私はつくづく野球に感謝したものである。家にいて、舅はいつも野球を見て楽しんでいた。プロも甲子園もである。私たちの最後の会話も野球だった。「おじいちゃま、今日はどっちが勝ってます?」と私は必ず聞いた。しかしそのうちに舅は礼儀正しく答えをごまかすようになった。どちらが勝っているのか、わからなくなっていたのである。
 プロ・スポーツは中高年には楽しみを与えたが、若い世代には大きなマイナス点ももたらした、と私は思う。それはプロの選手たちが、自分を高く売り込もうとし、契約の額で自分の力を示すというあのアメリカ型の競争の原理と表現を日本に導入したことである。
 才能というものには、本来、正確な値がつけにくい。私は作家になってから、原稿料をつり上げようとしたことは、一度しかない。他の文藝雑誌が四百字一枚三千円の原稿料を払っていた時代に、一枚百五十円を払おうとした非常識な宗教新聞に対して少しお考えくださいませんか、と言っただけである。
 金のことについては触れないという姿勢の背後には、さまざまな心理がまじり合っているので、決して純粋には取り出せないのだが、その混沌が、一つの日本人の心である。つまり、分を知るという謙虚さや、金は好きだけれど金の話を露にするのはいやという痩せ我慢や、好きなことをするのならお金はどうでもいいやという価値観や、「金で心が売れるか、金で人間が計れるか」といった反抗的な態度などの表れなのである。
 その日本的な美学を、スポーツのプロ選手のトレードという習慣はもののみごとに打ち壊して、金イコールその人の実力を表すという図式を作った。その責任は無視できない。
 



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