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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 大阪の朝?美容院探し、景気を思い…  
コラム名: 自分の顔相手の顔 146  
出版物名: 大阪新聞  
出版社名: 大阪新聞社  
発行日: 1998/05/26  
※この記事は、著者と大阪新聞社の許諾を得て転載したものです。
大阪新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど大阪新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   今不景気だ、不景気だと財布のヒモを締めている消費者のせいにしている面があるけれど、少し違うのではないか、と思うことがあった。
 旅先の大阪で朝、美容院を探した。東京を出る前に髪を洗う暇もなかったからである。するとホテルの美容室は十時からだと言う。「町の美容院は?」と聞くと「この辺はオフィス街なので、どこも十時にならないと開きません」という返事である。私の泊まっていたホテルの美容室はまだ十時からだが、近くの別の有名なホテルは何と十一時からしか開かない。
 美容院は見つからなかったが、二、三十分朝の町を散歩しているうちに、或る小説を思い出した。サマセット・モームの「会堂守り」という短編である。
 イギリスの田舎の、或る教会が舞台である。そこが時代の波に乗って、信徒の間でいろいろな改革が行われることになった。その際、読み書きもできない会堂守りはクビにしようということになった。字が書けないようでは、教会の世話人としてふさわしくないというのである。
 一生を神に仕えながら、生活の資も得ようと思っていたその会堂守りは絶望のどん底に陥った。この先どうして暮らして行ったらいいかわからなかった。あまり悲しいので、会堂守りは気持ちを紛らわせるために煙草を吸いたいと思った。しかし教会と自分の家との間には煙草屋がないことがわかった。
 自分と同じように、この道を悲しみながら歩く人は他にもいるだろう、と彼は思った。その男も、気持ちを紛らわすために煙草を買って吸いたいと思うだろうな、とも考えた。
 そうだ、そういう人のためにこの道に煙草屋の店を開いたらどうだろう。
 彼のこの計画は当たった。教会をやめさせられる時、どうして生きて行ったらいいだろう、と心配したその不安もなくなった。彼はその他にも、悲しさを心に抱えながら歩く人を想定し、その付近に煙草屋の店がないと、その辺に煙草屋の店を開いて行った。彼はやがてひとかどの金持ちになった。
 大阪駅の付近に、朝九時から開いている美容院を開いたら、必ず当たるだろうな、と私は考えた。九時ではなく、八時から開いたらもっと当たるだろうな、という感じである。
 要は、人の心に入ることと、人のしないことをすることだ。もちろんそのあたりは店舗の借り賃が高いとかいろいろな問題があるだろうが、ホテルからすでに店を借りている美容室も、こんなに遅くからしか開けないというのは不景気になって当然の怠け者である。
 失職はもちろんしないに越したことはない。しかしいつも書いていることだが、不運を幸運に変える技術が私にはおもしろいのである。殊に悲しみをごまかそうとする会堂守りの儚い努力が、金儲けに繋がったという偶然性がおもしろい。努力をして朝早く開く美容院を経営するのがいい、などと言ったが、人の運命は人知を超えているものなのだ。
 



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