|
先日、或る日の午後、職場での仕事が一片付きしてから、私は下総中山の鬼子母神へお参りに行くことにした。ずっと外国出張が続き、締切にも追われ、職場では来客の約束が一時間に一人はある。その日を逃すと、もういつ中山まで来られるかわからないので、私は少し強引にスケジュールを組んだのであった。 何で突然、と思われるかもしれないが、私としては思いつきではなかった。私は知人の或る人と電話で話をした後に、結果的には鬼子母神さまに私が代参する気になっていたのである。鬼子母神というのは、日蓮宗のお寺で法華経擁護の諸天善神として祀られている方であるという。 そもそもずっと昔、私の母は、私の姉を数え年三歳の時に肺炎で失ってから、ずっと子供ができなかった。母はもう三十を過ぎていた。今なら、三十歳を過ぎた○高出産は少しも珍しくないが、当時はもう子供は授からないかもしれないという悲壮な感じを持っていたらしい。 しかし母の言葉によると、母が鬼子母神さまにお参りしてまもなく私ができた、ということになっている。 その話を或る人に電話でしたのである。するとその人は「まあ、うちでも、そうなりたいものですわ」と言ったのである。その家庭では、娘の夫婦になかなか子供ができないのであった。 しかしその人は今、健康上や家庭的な事情で、なかなか中山まで行くことなとできない。電話を切ってから、じゃ、私がそのうちに代参しよう、と勝手に心に決めていたのである。 中山に着いたのは四時二十分過ぎくらいだった。それでも道が順調だったから五時よりずっと前に着けたので、ほんとうに幸運だった、と私は思っていた。 まずご本堂でお参りをして、と思って行くと、その前に仮事務所に行くように、という注意書きがあったので、また少し歩いて引き返した。今、あちこち修復中のような感じだった。 事務所ではどういうことを祈祷していただきたいか、書き込む用紙が置いてあった。子供ができますように、という項目はないが、安産祈願というのがあったので、究極はそういうことだ、と判断してそれに○をつけた。 私はそのご祈祷を受ける人の名前を書く気はなかった。母方の名前を書けば、世間に知られている人だったし、それに当人ではない。私は願いを叶えてほしい人の名前の欄を空欄にしておいた。 受けつけには、修行中にも見える若いお坊さまが二人坐っていた。 「今日はもう受け付けを終わったんですが」 そういう意味の札も出ていた。受け付けは三時半までで終りなのであった。三時半では、暇な人しかお参りできないだろう。私もとうてい仕事場を抜け出せない。 「申しわけありません。少し遠い所から伺ったものですから」 私は言い訳をし、今日ご祈祷をして頂けないなら、お願いして帰り、後からお札を郵便で送って頂ければ、と頼んだ。ほんとうは私は、祈りは心の問題だから、お札のようなものもいらないような気はしていたのだが、電話の相手にただ口だけで、「お参りに行ってきました」と言うよりも、何か眼に見えるもので、私がその家庭の幸福を願っていることを示した方がいいような気もしたのだった。 するとその若いお坊さまは、私が空欄にしておいた、祈祷をしてもらう相手の名前を書くように言った。 「それはできないのです」 と私は言った。第一私は、相手の苗字を知らなかった。 「名前が書かれてないとご祈祷はできないんです」 お坊さまは言った。 「下のお名前だけなら書きます。ご苗字を……私は知らないものですから」 「それだけではだめですね。ちゃんと名前がないと、ご祈祷はできないのです」 「私は実はキリスト教徒なのですが、神さまも仏さまも、誰がそれを希望しているか、よくおわかりのはずだと思います。ですから別に紙に書かなくても、仏さまはよくわかっていらして、お受けくださるように思うのですが」
区役所か税務署にいる感じ 私はできるだけ相手の心を傷つけないように、私としては普段にないほどの慎重な口調で言った。 「しかし名前がないとご祈祷はできないんです」 「名前は書けません。私はご苗字を知らないんです」 「しかし名前がないと、受けられないんでね」 私はふと、区役所か税務署にいるような気がした。官僚はこういう場合、確かにこんな具合に容赦なかった。 「ではどちらかお選びくださいませ。このままお受けくださるか、それともお取り棄てになるか、そちらさまが……」 「名前がないと受けられませんね」 「では致し方ございません」 私は少しも怒っていなかった。これがカトリック教会がやったことなら、私は愛も慈悲もないと感じたかもしれない。しかし私は仏教については無知で礼儀も知らないのだから、途方もない非常識を犯している可能性は充分にあった。こちらの非常識を棚に上げて、相手を怒ることは早計であった。 キリスト教はこの点ではずいぶん仏教と違う。カトリックの寺院に行くと、名前のない、イニシャルだけの感謝の奉納札はいくらでもある。エルビス・プレスリーは教会の聖歌隊で「神のみに知られた」というすばらしい聖歌を歌っていた。神は人がどんなみじめでも、その人を一人一人心に留め、その人の担っている重荷以上の力を与えるという歌詞であった。 人間が受けてくれなければ、私は仏さまに直接ご挨拶をして帰ろうと思った。お坊さまが受けなかった少しまとまった額のお布施も、黙ってお賽銭箱に入れてくればいいだけの話であった。お賽銭は誰が出したなどと知られなくていいものなのである。神や仏はすべてご存じだからである。 さっきはまだ開いていたように思われる本堂が、今度はぴったりと入り口の戸まで閉ざしてしまっていた。カトリックの寺院でも、よくこういう目に会う。イタリアなどでは、昼寝の時間になると、教会は大戸を閉ざして、もう人を受け入れないのであった。 人間の作ったお寺という建物になど入れてくれなくても、祈りは通る、と私はまだ信じていた。私は戸の外で手を合わせ、電話の相手の希望をみ仏によくお願いしてから、細い隙間から中を覗いてみた。お賽銭箱は戸の奥二メートルくらいの所にあったが、もちろん届きはしなかった。
|
|
|
|