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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: イランヘ?外国に出てこそ気づくもの  
コラム名: 自分の顔相手の顔 153  
出版物名: 大阪新聞  
出版社名: 大阪新聞社  
発行日: 1998/06/22  
※この記事は、著者と大阪新聞社の許諾を得て転載したものです。
大阪新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど大阪新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   他人の家を訪ねると、時々玄関脇にクモの巣がかかっているのがよく見える。それなのに自分の家にはもっと大きなクモの巣や汚れがついたままでも一向に気がつかないものだ。
 私が外国に出ておもしろいと思うのは、単純に、そして当然のことだけれど、すべてが日本とは違うので、自分の家の玄関先のクモの巣が見えて来るからである。
 昨日、私はシンガポールの東のゲイラン・スライという町にヒジャーブを買いに行った。
 ヒジャーブというのはイスラム圏の女性たちが着る一種の長いチュニックで、裾まであるロングドレスかコートのようなものである。つまりイスラムの慎みを表して、女性は体の線を一切出さないようにするのである。
 もう十年くらい前から年に数週間ずつシンガポールで暮らしているが、私は町でヒジャーブを売っているのを見たことがなかった。着ている女性も、十年前は今よりうんと少なかったという感じがするが、増えたのはなぜだろう。イスラム原理派的な空気が歓迎され出したのか、それともヒジャーブを着る国からの居住者が増えたのか。もっともイスラム圏の女性の服装も国によってまちまちで、私はおおざっぱにはわかるけれど、行ったことのない国に関しては全く推測もつかない。
 ヒジャーブが必要になったのは、イランに行くことになったからである。私の勤めている日本財団が国連難民高等弁務官事務所に対して、イランにいるクルド族難民のための医療費を百万ドル援助した。例によってお金を出したら必ず見て来なければならない、のである。
 イランからは服装の指示が来た。体の線の出るもの、くるぶしの出るもの、は禁止。必ずベールをつけて髪を隠す。髪やくるぶしは男のみだらな欲情をそそるものだから、出してはいけないのである。六十五歳以上はいいんじゃありません?などとすぐにもマンガ的反抗をしたいところだけれど、こういう規則には楽しんで従うことにする。
 私は町で、ヒジャーブを着ている女性にどこでヒジャーブを売っていますか?と尋ねた。するとFという町中のショッピング・センターかゲイラン・スライかどちらかだという。午前十時四十五分頃Fに着くと、ショッピング・センターの店の七割が開いていない。開店は午前十時からだと書いてあるのに、である。つまり世界にはそれほど不正確で怠け者が多いのが普通なのだ。ちゃんと働けば、日本の社会が悪くなるわけがない。
 ゲイラン・スライに廻ると店はすぐ見つかった。イランで作ったものを売っている。それならイランで買えばよさそうなものだが、飛行機を降りる時にもうヒジャーブは着ていなければならない、と言われたのである。
 店のオーナーに「このロングドレスの下にはどういうふうに着るの?」と聞くと、彼女は答えた。「人前では決して脱がないんだから下はTシャツにスラックスでいいのよ」
 



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