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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 隻腕のセイラー  
コラム名: 私日記 連載54  
出版物名: サンデー毎日  
出版社名: 毎日新聞社出版局  
発行日: 1998/04/19  
※この記事は、著者と毎日新聞社出版局の許諾を得て転載したものです。
毎日新聞社出版局に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど毎日新聞社出版局の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   一九九八年三月二十三日
 朝、飛行機で大阪へ。中之島のホテルで内外情勢調査会の講演。この会は、いつも大きな結婚式のような感じで、向こうのテーブルの方のお顔は霞んでいるほどの人数である。
 終わって再び飛行機で高知へ向かう。日本財団の記者懇談会と地元の高知新聞社の主催で講演会がある。三浦朱門も倉敷から列車で高知入りしている。こちらはシンポジウムに出席するためである。
 夜は新聞社のご招待で皿鉢料理を頂く。立派な大皿の上に土地のあらゆるお料理と羊羹のデザートまで盛りつける。日本にはブュッフェの伝統はないが、これは珍しく洒落たパーティー料理だと思う。
 三浦は、旧制高校をここの高知高校で過ごした。だから町にも人にも思い出がいっぱいある。喫煙を見つかるのを恐れて、押し入れの中の段に立って、天井板を剥がし、そこから天井裏に首を出してタバコを吸ったり、自分のお箸がなくならないように天井からゴム紐を吊るして、その先にお箸を結びつけておいた、というのもこの町である。彼はここで、反戦的、反抗的言辞を弄したというので無期停学になった。無政府主義者の父親がやって来て、息子のやったことは少しも悪くない、と言ったので、ことはますます紛糾した。父子はこんな場合にもかかわらず、悠々と奈良で遊んで帰郷した。
 今、三浦はタバコを吸わない。箸を洗わないで毎回使うような不潔なことも全くしない。戦争中には反戦的だったが、徴兵逃れに理科へ行くような小細工はしなかった。
 砂漠みたいにいくらでも飲めるという芸者さんに箸拳を習う。前にも見せてもらったことがあるのだが、私がやったら、合いの手も手さばきもやぼになってしまって見られたものではないだろう。
 三月二十四日
 午前中の記者会見の時、記者から、隻腕のセイラー・米子昭男氏のことを書いた記事をもらった。米子氏は五十歳。若い頃、事故で左手を肘の少し上でなくした。だから片手の操帆である。
 その米子氏が単独で二大大洋を横断したことに対して九七年度の植村直己冒険賞を受賞した記事である。
 その航海は、愛艇「エミュー」で一九九五年六月にフランスのラ・ロシェールを出発。大西洋を横断し、スエズ運河を通って太平洋に出て一九九七年五月に大阪に帰って来た。どうしてフランスを出発点にしたかというと、日本では海技免許の受験を拒否されているからだという。
 日本人は一般的におせっかい過ぎる。子供でもない限り、当人が命の危険など承認済みでしたいということはさせたらいいのだ。そして何か起きても、それはそういう人に免許を出した関係省庁が悪いのだ、などと言う子供じみたことは言わない方がいい。
 私も毎年、身障者といっしょにイタリアやイスラエルなどに聖書を学ぶ旅行をしているが、今までに何回も、常識的に言うと危険という人を受け入れた。一人は九十六歳の女性、一人は、重症の膠原病患者である。旅行社から相談された時、「ご当人が死んでもいいから行きたいと言われるなら、それでいいじゃありませんか」と私は答えた。行きたいという自分の選択があるなら、こちらは受け入れればいいのである。米子さんのような人にも、どんどん免許を出すことだ。現にフランスは出して、それが可能だったのである。
 午後は、自分の講演を済ませると、早速近くの市場に、うるめなど、おいしいものを買いに行く。これが何よりの楽しみ。
 しかしうるめの値段には驚いた。一本釣りのものだと、百グラム八百円、千円というのもある、二十センチくらいの長さの干物が、一本千円くらいすることになるのだろうか。後で三浦に聞くと、うるめはその大きさのものでないと、ほんとうにはおいしくないのだという。でも私はケチで買えない。
 てんぷらと呼ばれるのは東京で言うさつまあげのことだが、それを何種類か買う。そのうちの一部を、控室でおやつ代わりに食べた。少し味つけが甘いが、おやつなのだからほんとうにおいしい。
 笹川陽平理事長は丸亀へ、事故で亡くなった競艇の選手のお通夜と葬儀に行かれる。この事故は信じられないような状況だ。先を行く選手が水に落ちた。すると無人になったボートがくるりと後を向いて走って来て後続のボートに真正面からぶつかった。
 普通なら、ボートがぶつかって来ても、選手の服装は頭部も胸部も防具で守られているから大丈夫なのだが、その時に限って、それが脇腹に当たった、という。こういう偶然というものを前にすると、人間は何も言えない。ただひたすら、ご家族の心が立ら直られるのを祈る。夕方の飛行機で帰宅。
 三月二十七日
 これで三日間風邪気味でだるい。だらだらと寝ている。読書の能力と食欲だけはあって書く気がない。書くということは、最大の心理的な力の要る作業なのである。午前中の面会の約束をすべて断って午後の講演会だけにする。講演はどんな高熱でも休めないと思う癖がついている。
 



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