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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 座席の記憶  
コラム名: 昼寝するお化け 第202回  
出版物名: 週刊ポスト  
出版社名: 小学館  
発行日: 2000/05/12  
※この記事は、著者と小学館の許諾を得て転載したものです。
小学館に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど小学館の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   ひさしぶりに箱根まで日帰りしたので、登山電車だの、新幹線だの、我が家の近くの私鉄など、いろいろな電車を乗り継いで、子供の日の遠足の感動を思い出した。
 しかも外は、桜が最も見頃だと言われている頃で、箱根の登山鉄道などは、左手にしだれ桜、右手にそめいよしのという場所もあって、花のトンネルの中を潜って行くような瞬間もある。
 しかし電車に乗ると、腹の立つことばかりだ、という私の知人も結構いる。その主な理由は、ケイタイ電話と、席を詰めないことと、居眠り人種ばかり、とこの三つだそうだ。
 ほんとうにせっかく花の中を電車が走っているというのに、登山鉄道の中では一列六人全部が眠っている光景に出くわした。それがもう現世とお別れしかかっているような老人ならまだしも、全員若い人なので、私も余計なお世話と思いながら気の毒になった。これでは、外界のことが入って来ない。
 教育というものは、教室の中で受けるのはほんのわずかな部分で、ほとんどは雑多な社会から学ぶのである。眠っていたら休息は取れるが、人の内部には、知識も情感も入って来ることはないのである。
 私も、小説を考えるのに最も適しているのは、列車や電車の中のような気がしている。他に寝床の中、町を歩く時、新聞と哲学の本を読む時、である。
 私だけでなく、昔からものを考えるのは「馬上、厠(トイレ)上、枕上」と言われていたというから、電車の中は馬上に当たるだろう。適当に怠惰にしていられて、しかも絶えず強烈な刺激で人生が眼前に押し寄せてくる。想像力も刺激されて、こんなに豊かな所はない。その時間上に眠っているというのは、もったいないなあ、と思うのである。
 東京の私鉄に乗ると、今度はまた胸を打たれる光景に出くわした。姉妹のように見える三十代の女性が、三歳くらいの男の子と、一歳半くらいの女の子を連れて乗っているのだが、女の子が抱かれるのもいや、ママの膝に縋って立っているのもいや、つまり電車の床に寝そべりたいのである。
 泣きながら反抗して、寝そべろうとする娘を、母親は何度でもかがみこんで抱き上げようとする。すると女の子は身を反らせ、真赤になって泣きわめき、母親の膝に器用に足を掛けて、再び床にしゃがみこもうとする。なぜ母親の膝で寝かしてもらうのは嫌なのか、まだ口をきけない年だからわからないのだが、お河童の前髪がよれてしまうほど泣いて嫌がるところを見ると、彼女にとっては重大な理由があるのだろう。
 私なら思い切って床に寝かしてしまうかもしれない。しかしそうすると歩いて来る人に踏みつけにされる危険もあるだろうから、親の監督不行き届きということになるだろう。しかし母親は全く同じ動作を繰り返して、その度に抱き上げることに失敗し、子供はさらに怒って泣く、ということの繰り返しである。そういう光景を見ていると、この子は、人生とは辛いものだ、と思っているのだろうな、と自分のことのように思えて来た。
 私もどちらかというと、こういう聞き分けのない、神経質な子供だったらしいのである。暑いと言っては泣き、寒いと言っては泣き、すぐジンマシンを起こし、クループ性肺炎になり、親を困らせたというから、つくづく申しわけなかったと思う。
 しかし戦争中の困窮があり、戦後の貧困があり、しているうちに、だんだん私は鈍感に、健康に、文句を言わなくなって来た。
 今は私はいつも感謝している。辛いことがあってもごまかす方法を知っている。楽しいこととすばらしいことはけっこう見つけられる。それというのもお腹が空かないだけの食料があるからだし、暑さ寒さに対応できる最新の衣料も持っているし、調節の才覚もできたからなのだ。その上私は少し本を読んで、さまざまな見方でこの世を眺められるようになっていた。
 こういう泣き方をしている子供は、多分この瞬間辛いのである。この子の不幸は何だかわからない。しかし私はタイで見たエイズの子供のことを思い出していた。
 タイには私の働く日本財団が資金を出している女性の駆け込み寺のような施設がある。そこにエイズに罹っている女性だけのための部屋ができた直後で、私はタイで会議に出たついでに施設を見に行った時、泣き続けているエイズの子供に会ったのである。
 若い母親は、夫の暴力から逃げ出して、生後一年半くらいの男の子を連れて、施設にやって来たのである。しかし彼女は既に夫からエイズをうつされていたし、たった一人の子供にも感染していた。
 子供は頭が三角形に見えるほど痩せ細っていた。彼は立たせられて、母親にパンツをかはせてもらっているところだった。母に着替えをさせてもらうという行為は、子供にとって幸福なものだと思う。母の肩にしがみついたり、ふざけたり、時には叱られたり、そうして触れ合う手応えのすべてがこの上なく自然な安心に繋がっている。しかしそのエイズの子は、泣き続けていた。力なく、この世で今までにいいことは一つもなかったというふうに……。
 そこにいた医療関係者の説明によると、子供は、もういつ最期が来てもおかしくない状態だった。既に肺炎にもかかっているし、食欲は全くない。若い母はその状態を知っていたのかどうかわからないが、今は一見健康そうに見える彼女自身も、数年後には、もうこの世にいないだろう、と言う。
 もちろん電車の中の子供はエイズではない。健康そうでふっくらした顔つきである。しかしこの子もやはり起きていられないほど寝たいのだし、泣き止められないほど不幸なのである。
 この一家が下りて行った時、正直なところ、私は少しほっとした。その後には、三十歳くらいの、髪を二つに分けて結び、お化粧気もあまりない爽やかな女性が坐った。彼女はいそいそと新しいCDの封を切ると、ケースの中の歌詞を書いたブックレットを出して、それを見ながら、軽く足で拍子を取りつつ歌い始めた。
 もちろん声は聞こえない。しかし彼女の唇が楽しげに動いている。音楽のできる人なんだな、と私は思い、急に現世を明るく感じた。
 電車の座席にどういう人がどんな思いで乗ったか、もしこの電車が走り始めて以来ずっと秘密の記録が残っていたらどんなにおもしろいだろう。小説家はこんな空想まで楽しめるから、どこででも退屈しない。
 人は重い心配も、舞い上がるほどの幸福も、どちらも隠して電車に乗っている。隠しているところがすばらしいのである。
 



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