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結婚生活がむずかしいのは、洋の東西を問わない。大体において家庭生活を破壊するような要素として考えられるのは、浮気、博打、その他あらゆる癖??万引き、麻薬、虚言、浪費、怠け??などであろう。 しかしここで紹介される一人の夫は、実におもしろい癖を持っている。 北イタリアに一人のホテルの従業員がいた。女性である。彼女の夫は、いつも聖書に則った生活をしていた。だから善良な人だと世間は言いそうになるが、彼にとっては世界は聖書だけで、他のものはほとんど眼中になかったのである。 私はカトリックだから、可能性としてこういう人がいることがよくわかる。日本人には割と少ないのだが、世の中のどんなできごとを見ても、それと関連のある聖書の言葉が口をついて出るほど聖書をよく知っている人というのは、結構いるのである。そして実に聖書には、あらゆるケースに当てはまる言葉や事例が出ている。 私が日本財団というところで無給の会長として働くようになったのは、ちょうど一年前のことなのだが、当時の世論は日本財団に対して険悪そのものだった。私に対しても、クリスチャンのくせに博打の金を扱う組織で働くとは何事だ、という無記名の投書があった。いかにもそう言えば、私が困るだろう、という計算で書かれたような文章であった。 ところが、聖書にはこういう事態に対しても、また用意されている部分があった。 「不正にまみれた冨で友達を作りなさい。そうしておけば、金がなくなったとき、あなたがたは永遠の住まいに迎え入れてもらえる。ごく小さな事に忠実な者は、大きな事にも忠実である。ごく小さな事に不忠実な者は、大きな事にも不忠実である。だから不正にまみれた富について忠実でなければ、だれがあなたがたに本当の価値あるものを任せるだろうか」(ルカによる福音書16・9〜11) 不正にまみれた金で友達を作れ、という文章をそのまま読むと、キリスト教は、それこそ賄賂や汚職を勧めているのか、と判断する人が出るだろう。最近、世間を賑わせている話題は、自治体の不正な金の使い方と、厚生省などの役人の汚職だからなおさらである。しかし聖書の意味するのはそうではない。いささかヘブライ的な古い表現にはなっているが、友達というのは、世間で得になる友達を作れというのではない。神に喜ばれるように、苦しむ人、貧しい人の友達になり、彼らに惜しみなく与えておけば、私たちは現世で財産もなく死んでも、天国に喜んで迎え入れられるだろう、というわけだ。 そもそも金というものは、私たちが思うほど正確に清浄なものではない。小説家の原稿料など、そのいい例である。出版社は普通、その人が今回は駄作を書いたからと言って、急に原稿料を安くするということはしない。すると私たちは、時にはサギ同様の失敗作で、同じ金額のお金を受け取るのである。 勤め人だってそうだろう。真面目に働く人と、職場ではいつも煙草ばかり呑んでだらだら時間つぶしをしている人と、同じ一日の給与が払われる。その場合怠け者のサラリーマンは、駄作を書く小説家と同じで、金を騙し取っているわけである。 そのように金というものは、不正ででたらめな要素の多いものだ。でもそれでいい。「汚い金も正しく使えばいい」のである。 この言葉を知っていたから、私は財団の仕事に就く時も世間の雑音に動揺しなかった。二千年も前から、聖書はこんなこと、お見通しなのである。しかし、だからと言って、私がやたらに毎日聖書の言葉を引用しながら暮らしたら、私の友達は、きっと私が気がおかしくなったと思うか、不愉快になるだろう。 このホテル従業員は、「夫はあまりに信仰的であるだけで、結婚生活の勤めを忘れている」と離婚訴訟の法廷で証言している。 しかしこの夫は、自分の信念とするところで離婚されたのだから、まだしも諦めがつくかもしれない。韓国で妻から離婚の訴えを起こされた男は、韓国で初めて寝言が原因で離婚された人なのだと言う。 リー夫人は三十五歳。化粧品店のオーナーである。夫は三十八歳。二人は一九九〇年に結婚したが、その時以来夫にはどうも秘密の生活がありそうだった。 何しろ夫はしばしば妻のではない香水の匂いをぷんぷんさせて帰って来る。下着は裏表にはいている。しかも寝言では、複数の違った女たちの名前を呼ぶ……。 この夫はいささか性悪の女たちにひっかかっていたのかもしれない。香水など、妻に知らせようとして、女がわざとかけたのかもしれないし、下着も意地悪で、意識的に裏返しにしたのかもしれない。 しかし寝言で、浮気の相手の女たちの名前を呼ぶというのは珍しい。私は母が亡くなってから、母と夢の中で会いたい、と思ったことが何度もあった。しかし私はほとんど夢というものをみないのである。それは長時間寝ないからだ、と教えてくれた人もいる。母の夢を見たのは、たった二回だけである。その時の母はおそろしく元気で、夢の中でひどい皮膚病にかかっていた私を、励まし引き立てようとする四十代くらいの母であった。 この夫婦の離婚裁判では、妻が要求していた慰謝料の要求は却下された。私立探偵を雇って、夫の浮気の現場を押えようと追跡したのだが、夫にうまくまかれてしまい、情事の現場は取り押えられなかったのである。従って不貞の事実は立証できない、というわけだ。
同じ追跡でも、インドネシアでは警察が外見はおかしいが必死の追跡を行っていた。警察は、泣いている弔問者を従えたお棺を載せた霊柩車を、すさまじい速度で追跡したのである。これはもうアメリカ映画の世界だ。 お棺の中には必ず遺骸が入っているものと信じて疑わない日本人には想像もできないできごとだが、お棺の中に入っていたのは、この国からは輸出禁止になっている香木で、悲しみに泣きくずれていた弔問客は、密輸出を企てた犯人の一味であった。事件が起きたのは、東チモールのクパンという所である。 貧しい人々の少し悲劇的な喜劇はまだ続く。中国の新聞社が伝えたところでは、北部、中国のチァンジン市では、その日一軒の家で五歳の女の子の祖父の誕生日が祝われていた。 親戚の人たちがたくさん集まっていた。彼らは小さな家の一部屋に集まり、皆がいっせいに談笑しながら、数時間にわたって煙草をふかし続けた。やがてこの女の子が倒れた。あまりにも濃い煙草の煙で呼吸困難に陥ったのである。 子供はすぐ病院に連れて行かれて回復したようだが、そこにいた大人たちのうちの八人までが、子供の祖父を含めて、以後の禁煙を誓ったという。 煙草は、そもそも普及した時のことはわからないが、第二次世界大戦以後は、貧しい人たちの心の支えであった。それはすなわち、社会主義社会のささやかな個人の自由を確保した瞬間であったように見える。社会主義社会の中で、ほんとうにわずかな金で心の自由を感じられるものと言ったら、煙草しかなかったろう、と思われる。砂糖は貴重品だから、菓子とか飴とかいうものは手に入りにくい社会が、ベルリンの壁の崩壊までは実に多かったのである。嗜好品として一番安かったのは恐らく煙草だったろうし、煙草を吸っている間だけ外部からの心理的な抑圧も忘れていられただろう。 ベルリンの壁が落ちた後でさえも、私はルーマニアの国境で、警備の兵士から慇懃丁重に車を止められたことがある。 「グッドモーニング」 と彼は真面目な顔で英語で言った。 「ウィ・ハヴ・ア・リトル・トラブル(少し問題があるのですが……)」 そう言われれば、たいていの旅行者は自分のヴィザに問題があるか、何か別の理由でルーマニアに入れないのだろうか、と一瞬考えるだろう。 その緊張の隙を衝くように、彼は少し小声になって言った。 「あなたから少し煙草をもらえますか」
マレーシアのゲンティン高原では、アーサー・タン・シム・レオンという四十代半ばのシンガポールの男性が、七人の家族を連れて、木曜日にホテルに入った。それだけ大家族で週末の旅行をするというのは、それなりの収入のある人でなければできないことである。日曜日の朝三時少し過ぎに、ホテルのマネジャーは、レオン夫人から夫が意識を失っているという知らせを受けた。 専属の医師は十五分後にはやって来たが、その場で死亡を宣告し、遺体を司法解剖に回した。葬儀屋は遺体を引き取りに行き、おもしろい話を聞いて来た。その話が新聞社に流れたのである。 このレオン氏は、その日カジノに行き、スロット・マシンでジャックポットを当てた直後に、カジノの中で倒れたのである。 「聞いた話では、彼は大喜びをし、ほんとうに興奮していたそうです」 それが何時であったか、夜半を過ぎていたのかもしれない。あまりの幸運に興奮したレ才ン氏は、多分心臓の発作に見舞われ、終にそのまま起きなかったのであろう。 人間の生活は、どうも可もなく不可もなく、という程度がいいらしい。思いがけない幸運などにうっかり恵まれると、そこで平常心が乱される。それはその人が、自分を失うということだから、精神面でも肉体面でも無理が来てよくないのであろう。こんな話、ありそうじゃないの、と言うが、現実にあることだと知ったのは今回が初めてである。
旧ソ連領だったカザフスタンでは、おかしな事件が起こった。十二月三日の火曜日に、首都アルマティでは人々が奇妙な動きを始めたのである。 高層ビルの上の皆に住む人達は、一斉に家を見捨てて移動し始めた。その夜、大きな地震が起こるという予言が人々の間に浸透したからである。 「私たちは信用できる科学的な情報をモスクワから得ていたのです。それによれば、首都アルマティの北方で激震があるということでした。我々の活動はすべて、厳重な警戒体制下にあり、ずっと中国、キルギスタン、ロシアと連絡を取り続けていました」 そう語るのは、カザフスタン州緊急事態対策委員会の実行委員長、ヴァレリー・ペトロフ氏である。 しかし外交筋と、カザフのテレビ・ニュース「カバール」によれば、予言の出所はモスクワの霊媒であった。 カザフスタンの地震学研究所はそんな予報を承認しなかったにもかかわらず、警告は大混乱を引き起こしたのであった。人々は高層建築のアパートから持てるだけの品物を持って車に乗り込み、田舎の平屋建ての家を目指して一斉に逃げ出したので、道路は車が動かないほど詰まってしまった。他の人たちは車の中で夜通しエンジンをかけっぱなしにして暖を取りながら朝を待った。フィリップ・モリス煙草会社の遅番は、この流言のために就業を取りやめた。 高級ホテルと言われるハイアット・リージーェンシーの泊まり客たちは、鋼鉄とガラスでできた建物は地震に強いとは言われているが、それでもガラス張りのアトリウムの下にはいないように、手紙で注意された。 さすがに外交官たちは、この噂の出所に懐疑的だった。アメリカ大使館のカーレン・ウィリアムズ女史は次のように言う。 「私たちは人々に基本的な事実を知らせようとしました。モスクワに住む霊媒が、アルマティ地方に激震が襲うと予言したのです」 首都アルマティは人口百五十万。地震は決して珍しくない。一九一一年の地震の時には、町は壊滅状態になった。しかし今回、十二月三日には、何事も起こらなかった。 この騒ぎは人ごとではない。私はここ数年のうちにも、何月何日に地震が起きるから都心へは出ない、とか、オウムがサリンを撒くというから新宿へは行かない、という人々の話を聞いたことを覚えている。しかしそういう予言は当ったためしがない。むしろそういう時にこそ、私だったら新宿で店を開けるし、町中の様子を見に行く、と思ったものである。 私の子供の頃、学校からも親からも、「迷信を信じてはいけません」と教わったものであった。今は誰もこういう教育をしないらしい。テレビ局は朝から「今日の運勢」みたいな番組を流しているし、私の周囲には、家移りの時期や方角、結婚相手の年廻りなどをやかましく言う人がいる。私は今までどれだけ「幸福の手紙」を受けたかしれない。同じ文面で誰かに手紙を出さなければ、不幸が来ると言われている手紙である。しかし私は次の人にこの手の手紙など出したことがないが、それで不幸が来たことなど一度もなかった。付和雷同がどれほど無駄で、しかも危険をもたらすものか、私たちは常々考えておかなければならない。
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