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日本人は当たり前だと思っているが、三月末から四月、五月と一斉に芽吹き、伸び、蕾(つぼみ)が膨(ふく)らみ、花が咲くという豪華さは、常夏(とこなつ)の国では見られない天国のような光景である。 熱帯、亜熱帯では、一年中なしくずしに生態系の転換が行われているから、季節のめりはりがない。自分の生年月日を知らない人が多いのは、出生届けや戸籍の整備ができていないだけではなく、季節がないからではないか、とさえ思うことがある。弥生(やよい)、皐月(さつき)、秋子、雪子、さくら、などという名前の持つ詩的な響きは、人々が子供の生まれた季節を意識している、ということだ。
内戦が続いても、貧困が人々の生活を蝕(むしば)んでも、まず最初に起こるのは、人々が花や木を育てなくなることである。
昔の社会主義国は、道の舗装は壊れ、森の下草は放置され、家の屋根にも私たちが悪口として言うペンペン草みたいなものが生え、壁も落ちっぱなしで修理の跡も見られないのが特徴だった。何よりこの国(町)がくたびれて寂しい感じがする、と私に思わせたのは、窓辺にも庭にも緑や花がないことだった。食料も不足、医療の補助もないとあれば、花など育てる心理的、経済的余裕がないのも当然であろう。
以前チリの地方都市の貧民街で働く日本人とアメリカ人の修道女たちを訪ねたことがある。チリは南米でも有数の情緒ある国だが、貧困は底辺の部分ではなかなか根本的に解決されていない。貧しい村では住民の多くは失業者で、安酒をあおり、アルコール依存症になっていた。
そこで働くシスターたちも、もう中年以上か初老になりかけていた。長い年月、繁栄のアメリカ合衆国を捨てて、チリに生涯を捧げたアメリカ人のシスターといっしょに、一人癌を病んで、生きる日々も長くないだろう、と言われている女性の家を私は訪ねたりした。
病人は村の中では、比較的裕福な人だったが、息子が親を捨てて出たまま寄りつかなかった。せめて生あるうちに息子が帰って来てくれたら、この人の生涯はたちどころに幸福に包まれるのに、と思いながら、私たちは村の道を帰って来た。
「私が初めてここへ来た時、こういう土地で働けるかしら、と不安だったのよ」 とシスターは言った。
「でもこの貧しい村で、当時でも何軒かバラを植えている家を見つけたの。それを見た時、大丈夫、私はここで働ける、と思ったの」
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