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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 待つ時間?千年単位の歴史の中で祈る  
コラム名: 自分の顔相手の顔 336  
出版物名: 大阪新聞  
出版社名: 大阪新聞社  
発行日: 2000/05/17  
※この記事は、著者と大阪新聞社の許諾を得て転載したものです。
大阪新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど大阪新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   イスラエルの旅の途中で風邪を引いて、気管支炎がなかなか治らなくなったので、旅程を変更して最後のイギリス行きを断念することにした。お腹は丈夫なのに、昔から呼吸器が弱い。心臓にもお腹にも毛が生えているつもりだが、ついでに気管支にも毛を生やしておきたいと思いながら、なかなか飛行機の席も取れないので、団体から離れて、一人旅をすることになった。
 まず切符の切り換えをしてもらうのに小一時間かかった。イスラエルの人も急ぐということをしない。歴史が千年単位なのだから、一時間や二時間、どうということはないのだろう、と思って座っていると、すぐ傍に目立たないドアがあって、そこがユダヤ教のシナゴーグ(祈りのための会堂)であった。
 見ていると時々キッパという丸い帽子を被った男が入って行く。日本の空港に、神社、仏教のお寺、キリスト教会などがあって、旅の前にちょっと祈って行く、という風習がない方が変わっているのだろうか。私はたった一度、遊びのためにではなく、日本人の団体に小さな講演をするためにクイーン・エリザベス号という船に乗ったことがあるのだが、その船にも、ユダヤ教のシナゴーグがあった。確認はしなかったが、当然イスラムのモスクの部屋もあったろう。キリスト教もプロテスタントとカトリックの礼拝所が別々にあり、私がカトリックのミサに行くと、同じテーブルで食事をすることになっていた夫婦が眼を丸くした。東洋人でカトリックがいるとは思わなかったらしかった。
 ローマのレオナルド・ダビンチ空港は、最近ひどく変わってしまってよく位置関係がわからなくなったのだが、昔は、私たちのような大きな団体がチェックインするために手間取っている間に、よく空港のチャペルでミサを上げたものであった。
 すると通りがかりの人たちも入れ代わり立ち代わりやって来て、祈って行く。人生も旅も危険と紙一重で、いつどんなことがあるかわからないから、常に神に祈って、いつ死んでもいいように心の清算をしておくのだろう。
 「アカペラ」という歌い方を、私などは昔意味も知らず「垢」か「赤」とペラという音を結びつけたものだと思っていたが、「ア・カペラ」というのは「教会で」ということで、つまり無伴奏で歌うことだということをイタリアに行くようになってやっとわかった。
 さんざん待たされている時は、私も日本人らしくいらいらしている。日本ではこんな非能率はないから、日本の経済も生産性も決して捨てたもんじゃないぞ、などと鬱憤ばらしに考えている。
 しかし思いなおしてみると、非能率で待つという時間がやたらにあるからこそ、こういう光景が見えるのだ。シナゴーグに行って、祈る暇もあるのかもしれない。
 祈りがないと、人間は人間性を失う。待つ時間がないと、ものを考えなくなるだろう。
 



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