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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 配慮?テレビをつまらなくする  
コラム名: 自分の顔相手の顔 173  
出版物名: 大阪新聞  
出版社名: 大阪新聞社  
発行日: 1998/09/01  
※この記事は、著者と大阪新聞社の許諾を得て転載したものです。
大阪新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど大阪新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   内館牧子さんが「週刊ポスト」に連載されている「朝ごはん食べた?」という連載エッセーを私は愛読しているが、九月四日号に書かれた「サマースクールで」を読んで、日本のドラマがどうしてつまらないかがよくわかった。内館さんはこの夏、シナリオ・ライター志望者のためのサマースクールで講演された。三百人を越す聴講生が集まったのは、内館さんの人気のせいだろう。しかしシナリオ・ライターとして大御所的な存在である内館さんにも、その日ライター志望者には言えないような悩みがあった。
 それはテレビ局が視聴者に過度の「配慮」をするあまり、内館さんが脚本を書かれる時に時々書き直しを命じられることだと言う。もちろん「過度の」というのは私の表現だ。その結果(これも私の言葉で言えば)作品は無難なものになり、おきれいごとになり、毒気が抜けて幼稚になる。
 内館さんは或る時「息子にも娘にも優しい言葉ひとつかけてもらえない老母のセリフ」として「子供なんてこんなもんですよ。でも、私は生まれ変わった時は子供を持ちません。そのかわり一生を賭けられる仕事を持ちたいわ」と書かれた。これが書き直しを命じられた。理由は「少子化を促進し、仕事をしていない女を差別している匂いがある」からだそうだ。
 内館さんはこういう場合どうされるかと言うと、書き直しはせず、その部分をすべてカットされるのだそうだ。
 しかしこれだから、世の中のテレビ・ドラマはどんどんつまらなくなるのである。内館さんくらいになられれば、代りの部分にもそれなりに、深みや味を加えることができるだろうが、たいていの場合、毒もなくなれば味もなくなる。通俗的なアメリカの西部劇、イタリアの不倫劇にも、しばしば深い人生を思わせる科白があるものだが、日本の作品には例外的にしか哲学がない。どたばたで幼い会話しかない作品が多いのは、つまり世間の非難を恐れ、見せ掛けの人道主義を取ろうという小心さに満ち満ちているからだろう。
 芸術は危険な要素と間一髪(かんいっぱつ)の関係にある。
 一人の人を傷つけるくらいの強さがないと、一人の人の心も救えない。
 さしもの内館さんも「こういうやりとりが続くと本当に萎える。深い疲労感に襲われる。それだけでスランプになってもおかしくはないはずだ」と書いておられる。
 筆者が明らかになっているということは、内容の責任はすべてその人にあるということだ。反対する人も非難する人もいるだろうが、反面、感銘を受ける人も、救われる人もいる。
 テレビ局はつまりしょっているのである。自分の局が流したドラマ一つで「少子化を促進」できたり「仕事をしない女を差別」することが可能だと思うのは、思い上がっている。人間はもっと個性的で複雑で強いものだというほんとうの意味での尊敬はないのである。
 



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