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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 地球の現実?ナイフを持たない男たち  
コラム名: 自分の顔相手の顔 17  
出版物名: 大阪新聞  
出版社名: 大阪新聞社  
発行日: 1997/01/14  
※この記事は、著者と大阪新聞社の許諾を得て転載したものです。
大阪新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど大阪新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   数年前、足や眼に障害のある人たちといっしょに外国旅行をした時、数人の若い青年たちが、車椅子を押しに来てくれた。
 ローマを出る時、私は旅の途中だというのに、空港の売店でみごとなサラミを一本買い、次の目的地に着いた夜、若者たちの酒盛りの開かれている部屋にそれを持って行った。ほとんどは彼らのウイスキーのお摘みに差し出すつもりだったが、「すみません。誰かナイフを持ってたら、私に少し尻尾の部分だけください」と言ったのは、部屋に持って帰ってゆっくり「味見」だけはしたかったからである。ところが、青年たちのうちナイフを持っている人は、一人もいなかった。
 聞くと旅行社が、ナイフは持たないように、とわざわざ注意したのだと言う。つまり手荷物にいれておくと、金属探知機で見つけられ取り上げられるので、そういう注意を出したのだろう。しかしチェック・インする荷物に入れて置けばそんな心配はない。
 途上国ばかり歩くようになってからの私は、男がナイフを持たずに旅行することなど考えられなくなっている。中南米でも中近東でもアフリカでも、ナイフは男の命である。密林や砂漠や荒野を歩く男でナイフを持たなかったら、どうして生きて行くのだ。
 ナイフは、突き、切り、削り、捌き、開き、裂き、穴を開け、こじる。すべて生活のわざである。時には、人間や野獣や爬虫類や鳥など、すべての敵対する動物を防ぐにも必要である。
 私たちは孫が十二歳になった時、ナイフを贈った。もっと正確に言うと、聖書とナイフを贈ったのである。ナイフは決して人を刺すためではない。むしろ自分や愛する人々を守り、生かし、闘いや戦争を招かないようにする覚悟を教えるためであった。
 先日インドシナ半島で暮らしている日本人に遇った。彼は町を歩く時でも、常時、ナイフを二本持っているという。一本は後の見えない部分のベルトに、一本は前の見えるところに付けている。見える方が危険防止力になることは間違いないが、不当に人を怖がらせないように、傍に鋏もわざと見えるように付けているという。それを見た人に、ああ、この人は山か農園の仕事をやっている人だな、と思わせるカモフラージュである。
 ナイフについては、彼はこう言った。「果物は自分できれいに洗って剥かなければ、お腹壊しますからね。それに殺されるということにでもなったら、最後の生き残るチャンスをこれで試せばいいんです」
 ナイフを持たない男たち。そしてナイフで果物も剥けない子供たち。彼らが平和の証だと言うのは、あまりにも地球の現実を知らなさすぎる考えだ。子供にナイフを持たせれば、すぐに喧嘩して相手を刺すだろう、と思うのも、子供に対して失礼である。
 自衛のできない国や人は、世界的に一人前ではないから、迷惑な存在なのである。
 



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