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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 人生に一度?待たずに乗れます霊柩車  
コラム名: 自分の顔相手の顔 297  
出版物名: 大阪新聞  
出版社名: 大阪新聞社  
発行日: 1999/12/21  
※この記事は、著者と大阪新聞社の許諾を得て転載したものです。
大阪新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど大阪新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   この秋、コンゴ民主共和国のキンシャサに着いて、空港からホテルに向けて走りだした時、私たちは間もなく、繁華街の道に沿って延々と人々が立っているのに気付くようになった。しょった政治家なら、国民が自分を迎えに出ている、と思ったかもしれない。
 それは仕事を終えて家路に就こうとしている人たちであった。しかしキンシャサには、路線バスがないのである。バスらしいものはたまに走っているが、それは「目端のきく」企業家がやっている白タクならぬ、白バスで、それとても台数が少ないから、とても皆を拾うわけにはいかない。
 私は実のところ、どういうふうにして彼らが、この底なしの通勤地獄を「何とかしている」のかわからないのである。自動車だってほとんど持っていない。タクシーの相乗りも少しはあるだろうが、もともとタクシーなどなかなかない土地なのだ。
 オンボロでも車を持っている友達と約束して乗せてもらう。ヒッチハイクの合図をしている人はたくさんいるから、ヒッチハイクも、その解決策の一つなのだろう。ヒッチハイクは元来ただで乗せてもらうということだが、ここではそんなことは考えられないから、乗せてくれる車は即ち白タクということだ。碓実なのは歩くことだろう。六、七キロなら歩いた方が早く家に着きそうである。
 私だったら、これだけでもう、勤労意欲を失う。朝と夕方、日に二回ずつ、今日はどうして移動しようか、と思うくらいなら、家でお粥をすすって寝ていた方がいい。お粥代は時々盗むかかっぱらいをして稼ぐのである。
 私たちは短時間に取材をしなければならない、という言い訳があるから、この国では「大金」を払って車を借り上げている。それだけでもう、私たちは嫌らしい金持ちの特権階級なのである。
 首都にはスーパー・マーケットもあって、或る日私たちは壜入りの水を買いに行くことになった。広大な店内には誰もいない。誇張ではなく、私たち以外の客は一人もいないのである。悪夢のような光景であった。誰もこんな高い店で買い物をできる人はいないのだ。
 こういう国家もあるのだ。こういう政府もあるのだ。私は別に与党からお金をもらって「日本はいい国だ」と言っているのではないが、アフリカには独立しても、まだこんな程度の生活しか国民にさせられない国が、いくらでもある。
 キンシャサの町中で、或る日私は車の中で同行者を待っていた。近くにはやはり帰りの足を探している人たちがたくさん立っていた。若い娘も、眉間にたてじわを寄せている。人々は疲れ切り、苛立っているのであった。
 その時一台の黒塗りの車が、人々を掻き分けるようにして現れた。この国にもやはり金持ちはいるのだ、と思いかけた次の瞬間、私ははっとした。それは霊柩車なのであった。
 人は人生の最後に一度だけ、待たずに車に乗れるというぜいたくを贈られるのである。
 



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