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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 厄介払い?罪のない者は石を投げなさい  
コラム名: 自分の顔相手の顔 363  
出版物名: 大阪新聞  
出版社名: 大阪新聞社  
発行日: 2000/08/22  
※この記事は、著者と大阪新聞社の許諾を得て転載したものです。
大阪新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど大阪新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   ジェイムズ・ホワイト氏はイギリス人、孫もいる身であった。
 彼は或る夜、ガソリン・スタンドヘ立ち寄り、そこで百錠の錠剤を飲んだ。そして自宅にいる妻に電話をかけ、「私は自殺を図ったんだ。しかしそれはお前を助けるためだからね」と告げたのである。
 ホワイト夫人は驚いて警察に通報した。ホワイト氏はすぐに病院に連れていかれ、生命維持装置をつけられたが、十八時間後に死亡した。もっとも彼がどのような錠剤を飲んだかは明らかにされていない。
 何が彼の自殺の原因だったのか。彼は七月二十五日、マンチェスターの法廷で、四歳と十二歳と十五歳の三人の少女をレイプしたかどで有罪判決を受けていたからである。その他にも彼は四件の未成年者に対する猥褻行為をしたかどで、拘置され、保釈金を支払わせられていたのである。
 自分の犯した罪を恥じたから、ホワイト氏は自殺したのではない。それまで新聞は、こうした犯罪者の名前を公表しなかったので、彼が百人近くの「性的少女愛好者」のリストに入っていることは誰にもわからなかったのである。
 しかし「世界のニュース」紙が「恥と名前」運動として、その名簿を発表することにした。その二日後に、ホワイト氏が法廷で判決を受けることになったのである。
 その夜から七十人近い自警団員が彼の家を取り囲んだ。大声を挙げて脅迫し、煉瓦を投げた。警察が呼ばれ、めちゃめちゃになった家からホワイト氏夫妻を救い出した。
 それからというもの夫妻は執拗に追って来る自警団員から逃れて、知人や友人の家を転々とした。しかし二週間後に、ホワイト氏は疲れ切ったのだろう、ガソリン・スタンドで自殺を目的に薬を飲んだのである。
 彼の家族は「世界のニュース」紙を、「ヒステリー的な空気を作って彼を死に至らしめた」と非難している。弁護士は「彼はほんとうに、自警団員に殺されることを恐れていたんです」と語り、家族の友人の一人は「彼は自分らしいやり方でこの問題を解決したんだと思いますね」と付け加えている。
 彼の住んでいる家の近くでは、彼の死について非同情的な空気が強い。暴動に参加して彼の家に石を投げていた二児の母は、「あんな男のために涙なんか流さないわよ。厄介払いができてよかったわ」と語っている。
 聖書の中には、姦通を犯した女の話が出て来る。この女を石打ちの刑で死罪にしようとしている人々にイエスは言う。「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい」。するとユダヤ人は一人また一人とその場を立ち去る。
 しかし現代では、ほとんどの人がさっさと石を投げる。自分もまた、状況が少し違えば恐ろしいことをしでかすかもしれないとは、決して思わないのである。
 



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