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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 予測する能力?「もし…」の世界生む教育と気候  
コラム名: 自分の顔相手の顔 101  
出版物名: 大阪新聞  
出版社名: 大阪新聞社  
発行日: 1997/12/02  
※この記事は、著者と大阪新聞社の許諾を得て転載したものです。
大阪新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど大阪新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   もし私が……であったら、とか、もしあの時……していたら、とかいう考え方は、日本では大した価値を持たない。それは思い切りの悪い人だとか、心配性で気の小さい困った性格だとか言われることが多い。
 しかし私はこの頃、世界中で「もし」という形の心配をする人は意外と少いことを体験的に知るようになった。
 「もし」を考えられるのは、人間の教育と、それによって作られる知性の結果である。動物と人間は本当の意味での意志の疎通がないから、実際のところ動物が何を考えているのかわからないが、多分動物は未来に待っている死を考えることもない。過去の記憶はあるような気がするが、「もし」というような形で自分が辿らなかった人生を組み立ててみるということはしないだろう。
 世界中には教育を受けられない状況で生きている人が実に多いが、その中には、衣服を洗わないためにできる皮膚病に悩まされている人たちがいることを、今度のアフリカの旅でも知った。
 「体を洗ってこのお薬をおつけなさい」
 と日本人の看護婦の修道女は言う。
 「ついでに服も洗うのよ」
 と彼女は思い出したようにつけ加える。
 日本人なら体も服も洗うのが当然だから、こういう会話はないのである。
 もし体を不潔にしておくと、こういう皮膚病になるだろうという予測がつくから、私たちは先に清潔にする。もし体を洗っても、服を洗わなければ、それは入浴をしないのと同じようなことになるだろう、と考えるのも、予測する力である。しかしこの女性は気の毒に田舎に育って初等教育もまともに受けられなかったので、予測する能力も開発されなかった。
 予測する能力を養う別の要因には、厳しい気候もある。それも寒さよりも暑さの方が始末が悪い。
 昔アラビアの或る暑い地方で、日本人の商社マンが考えごとをしていると、現地の事務員が何をしているのだ、と訊いた。明日の朝十時に商談の場に着くには、何時に起きて何時に家を出たらいいか逆算して考えているのだ、と言うと、「よくそんなむずかしいことを考えられますね」と言ったという。日中、直射日光の下では楽に六十度を越すような土地で空調がなければ、人間はまず思考することをやめる。今のことしか考えなくなるのである。「もし」の世界など思う余裕はない。
 アラブのことわざに、「明日のメンドリより今日のヒヨコ」というのがあった。長い視点でものごとを見るより、今日ちょっといいことがある方がいい、ということである。
 南アのヨハネスブルクの小さな店で絵はがきを買った時、店の女性が日曜も営業しているというので、「あなたは今に大金持ちになるわ」と言うと、彼女は溜め息をついて「今日ちょっとお金がある方がいいわ」と言った。
 



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