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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 約束違反?怖くない父親は偽物である  
コラム名: 自分の顔相手の顔 441  
出版物名: 大阪新聞  
出版社名: 大阪新聞社  
発行日: 2001/06/13  
※この記事は、著者と大阪新聞社の許諾を得て転載したものです。
大阪新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど大阪新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   先日、食品としての梅の効用を研究しているところから、インタビューを受けた。私は酸っぱいものにも弱いのだが、甘いものが苦手で塩辛いものが大好きだから、梅干は大切である。

 ひどい手抜きだがおいしいおつゆがある。梅干を一個湯のみに入れ、チューブ入りのワサビ、化学調味料を少々加え、ノリを一枚おいて、お湯を注ぐ。梅干を中でくずしてもまだ塩味が足りない時には、各人の好みに合わせて、ちょっとお醤油を足す。サハラ砂漠を縦断中に炊事係だった私がよく作った「手作りインスタントおつゆ」である。

 しかし最近、梅干業界に許しがたい堕落が起きていると私は思っている。ハチミツ入り梅干、減塩梅干の出現である。ハチミツ入り梅干など、甘いんだかしょっぱいんだか酸っぱいんだかわからないので、気持ち悪くて食べられたものではない。別の名前で売り出す新食品ならどんなものでも構わないが、あれは梅干ではない。

 ハチミツ入りや減塩の梅干、甘くないケーキなどはすべて最近の、いじましくて小狡い世相や人間の態度を反映しているように私は思う。つまり社会の誰からも悪く言われたくないのだ。酸っぱいということは一種の激烈さである。それが梅干の使命である。その力によって殺菌ができた。コレラも梅干があれぱ怖くない。しかし目的が明快なものは、一面で欠ける所が出て来る。それが怖くて特徴までなくそうとする。だから「地球に優しい」人や「部下に優しい」上役ばかり求められ、ついでに酸っぱくない「舌に優しい」梅干や、「高血圧でも食べられる減塩」梅干が出現する。

 酸っぱさや塩からさが身にしみる商品があった時代には、人々は誠実で正直だった。ガミガミ親爺は自説を曲げず、自分の店の商品の質と伝統を一生かかって守り抜く頑固一途の商入がいた。誰にでも合うことを売りもののフリー・サイズの衣服は、つまり、誰の体型にも合わない、という鉄則があるように、誰にも食べられるようにした加工食品というものは、最初から誰も本当には好かない。

 菓子は甘いから菓子なのだ。うまいという字は漢字になおすと、「美い、旨い、甘い」と三通りになる。甘くない菓子はうまくない。反対に一般の醤油は塩味が足りなくなった。約束違反という感じだ。

 怖くない父親、も偽ものの一つだろう。同様に全く料理をしない母親も、どこか怪しい感じがする。偽ものに囲まれていては、子供たちが人生の眼を養えるわけがないのである。
 



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